〔(1) 政治的活動の制限〕

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昭和44~53年(1969~1978)の座談会記録数は46本と、さらに増えている。テーマ別に見ると、やはり生徒会・委員会に関するもの(13本)と学校生活・勉強に関するもの(18本)が多いのだが、前者が時期を下るにつれて議論されなくなる一方、後者は反対に増加傾向を見せた。
昭和44年10月、文部省通知「高等学校における政治的教養と政治的活動について」が出され、高校生の政治的活動が制限された。これは高等学校においても学園紛争が発生していたことに対する措置であるが、中学校においても、生徒の政治的活動に対してブレーキをかける動きが生まれた。その顕著な典例が、『朝日』第6号(朝日中学校、昭和45年3月)に見える。「生徒の生徒による生徒のための自主的生徒会活動は、実現できたか」は、昭和44年度の生徒会活動全般に対する反省である。その中に「資料集沖縄」という冊子を全校生徒に配布する計画が実行できなかったことについて話し合われている。朝日中学校は沖縄にある平良市立(現・宮古島市立)平良中学校と姉妹校の関係である。沖縄への関心が低いという理由から、沖縄委員会が中心となって作成した。しかし冊子作成後、配布寸前に朝日中学校長から配布を禁止され、図書館での貸し出しのみ認められたという。同号に掲載された沖縄委員会の報告でも、校長が回答した理由が納得できなかったと述べている。もちろん生徒会活動すべてに対する規制をかけていたわけではない。同校の生徒会指導担当教員は、生徒と意見が対立した折、生徒が反対意見を堂々と述べたことに「少々ムカツとしたが、反面すばらしいことだと思った」と述懐している。
とはいえ自主的な活動の禁止は、生徒にとっては不満だったろう。実際この時期以降、生徒の口から「生徒の意見を尊重してくれない」という発言が頻繁に出てくる。そしてその不満が、活動の意欲減退につながっていくことは容易に想像できる。学校生活に関わる座談会から、その例を見てみよう。『あゆみ』第25号(城南中学校、昭和49年3月)「理想の城南」において、生徒と教師が学校生活について話し合っている。一人の生徒が「頭髪の問題にしても職員会議で却下されれば生徒のささやきと終わってしまうので、生徒の意見を広く尊重していくことが理想」と発言し、大きな拍手が起こったのに対し、教員からは「きちんとした意見で(中略)職員を説得するようなものをもってくれば、なにも我々は全部いけないといっているわけではない」「生徒の自主性というのだから、要求するからには自分達の事は自分達でとりしきっていくんだというような線まで提案してくれれば」教員も努力する、と反論が出た。日を置いて座談会が再開された際には、生徒自身からも、生徒会の積極性不足を指摘する声が上がるに至った。