まとめ

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新制中学校は戦後教育のシンボルの一つであり、地域の期待を一身に集める存在であった。だからこそ、中学生は期待を背負い、将来の平和国家、文化国家の担い手たろうと、時には背伸びをしつつ中学校生活を過ごした。しかし中学校が前期中等教育として確立し、小学校と高等学校の間に挟まれた人生の一段階となると、生徒には学校の創造(主体性)から、学校への適応(自主性)が求められるようになった。具体的には生徒会活動や勉強、クラブ活動などの充実である。生徒はたびたび座談会で話し合い、知恵を出し合った。しかし、活動に規制がかかったことなどもあり、座談会は与えられた課題以外に対する学習効果を失っていった。そして学校の荒れに伴い、教師と生徒がお互いに話し合い、聞き合う環境という座談会開催の前提条件が失われたことが、中学校における座談会の存在にとどめを刺したのである。
しかし時代は変わった。公職選挙法改正により平成28年(2016)6月から18歳選挙権が実現した。また民法の一部が改正され、令和4年(2022)4月から成人年齢が18歳となった。より多くの若者が、社会を創造する主体となることが必要になった。若者の主体的な生き方を育てる社会や教育のあり方が問われている。昭和戦後期に中学校で数多く行われ、校誌に記録された座談会を、単なる歴史の一コマとして埋もれさせないためにも、筆者を含め、教育に携わる者は考え続けなければならない。


(1)  浅井清編 1994 『新潮日本文学アルバム39 菊池寛』新潮社、p. 61
(2)  校誌編集が生徒の学習活動である限り、何らかの形で教師による指導が入ることは避けられない。しかし、教師の介入がどこまで許されるかは、常に意識し続けなければならない問題であろう。
(3)  生徒会と校則の関係については、例えば文部省学校教育局編『新しい中学校の手引』(明治図書、1949年)では「この(学校の―引用者)規則の権威はとかく弱いものとなりやすいが、これを強力にするために、校則を作るに当り、生徒の参加が切に必要とされるのである。もし生徒たちが校則を作るのに参加することを許されるならば、それに従うのが自分たちの責任であることを一層よく理解するであろう」(p.174)とされている。
(4)  『港区教育史』第5章第3節第3項(4)pp. 187―189を参照。
(5)  同号の内容については、第13章「1964年東京オリンピックと教育」を参照。
(6)  赤坂中学校のユネスコ協同学校指定については、第14章「港区における国際理解教育」を参照。