令和3年(2021)夏、第32回オリンピック競技大会および東京2020パラリンピック競技大会(以下「2020大会」とする)が、東京を開催都市として行われた。オリンピックとパラリンピックがともに複数回開催された都市は、東京が初めてである。
東京都では、平成28年度(2016年度)から都内すべての公立学校において、東京オリンピック・パラリンピック教育を実施した。また、オリンピック大会は猛暑の中での開催が予想され、安全面で危惧されながら、都内を中心に児童・生徒の観戦が計画された。しかし新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、開催は当初の2020年から1年延期となり、オリンピックについては1都3県の会場は無観客で、パラリンピックについては全競技無観客での開催となった。港区をはじめ都内の児童・生徒が大会を観戦することのないまま、2020大会は終わった。このように、何年も前からオリンピック・パラリンピックに向けた教育の取り組みが行われた理由の一つとして、前回昭和39年(1964)の第18回オリンピック競技大会(以下「1964大会」とする)の成功が、国民的記憶として存在していることが挙げられよう。
では、1964大会開催に際しては、どのような教育が行われたのか。実は学校現場で実際に行われた教育内容については、意外に知られていない。本章では、1964大会に関連して、港区立小・中学校で行われた教育の取り組みを、現在残されている小学校校報、PTA会報、中学校校誌、学校沿革誌などを用いて明らかにすることを試みる(1)。そして、まだ歴史的評価が難しい2020大会について、考えるための手がかりとしたい。
なお、パラリンピックについては本論の検討対象からは除外する。その理由は当時、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催され、パラリンピックと位置づけられていなかったこと、学校教育において取り上げられた形跡が全く見られないことによる。決してパラリンピックの意義を軽んずるものではないことを断っておく。