〔(1) 教育課程編成の苦労〕

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飯倉(いいぐら)小学校『飯倉』第11号は、昭和39年度(1964年度)の教育実践を振り返って、「第2学期は世紀の聖典(ママ)オリンピックの開催で日本全国がオリンピック一色に塗りつぶされた。学校行事もこの地上最大の祭典に協力しつゝ、毎日の学習指導が組まれていった(8)」と書き残している。氷川小学校のPTA会長も、学校の様子を「昭和三九年は、オリンピックに明け、オリンピックに暮れた一年間ではありましたが、学校としては、この世紀の大行事を、学業と併行させ、どうしたら子供達の教育の面にとり入れ、どのように役立たせたら良いか、校長先生を中心として先生方が熱心に研究された訳です(9)」と語っている。学校現場では、苦労して教育課程にオリンピックを組み入れていたことがうかがえる。