オリンピック大会については、11校の見学が確認できる。具体的な日程を見ると、10月11日(芝浦小、白金小、神明小)、14日(神応(しんのう)小)、15日(麻布小、桜小、桜川小、青南小、氷川小、檜町(ひのきちょう)小、御田(みた)小)、18日(桜川小、青南小)、と4日間に集中している。このうち11日はサッカー(芝浦小、白金小)、15日にホッケー(御田小)、18日にホッケー(桜川小、青南小)を見学したことが確認できる。神応小学校は14日の他にもう一日見学しているが、その日程は不明である。また、10月18日の桜川小、青南小児童によるホッケー見学は学校日誌などの記録にはなく、児童が作文に書いたことで判明したものである。港区立小学校児童によるオリンピック大会見学は、さらに他校でも行われていたのかもしれない。
しかし聖火リレー同様、オリンピック大会見学をした学校でも、全校児童が見学できたわけではない。桜小学校は6年生のみ、神応小学校は5・6年生、神明小学校は5年生のみ、のように、高学年の児童のみが見学している。また、当該学年児童全員が見学することもできなかったようである。例えば麻布小学校の場合、見学できた児童は5・6年生66人だった(11)。昭和39年度(1964年度)に在籍した5・6年生は8クラス計304人である(12)から、当該学年全体の4分の1にも満たなかった。檜町小学校でも6年生のうち46人が代表で見学しており、ほとんどの学校が人数を絞って見学児童を送り出していたと思われる。見学者数の絞り込み方法については、最も公平性を持ち得たのは抽選であろう。実際に、10月15日に駒沢競技場でホッケーの試合を見学した御田小学校の6年生は、オリンピック見学体験について、「六年生二十八名がくじに当たって駒沢競技場へホッケーの見学に行った(13)」と書いている。
10月11日に国立競技場でサッカーの試合を見学した白金小学校の6年生は、対戦国同士の2選手がボールの奪い合いの際に激しく衝突して倒れた後、お互いに助け合って起き上がる様子を目撃した。児童は「その時はそれ程にも思わなかったのだが、日がたつにつれて、それがすばらしく美しいことであるのに気がついて、その時に見た光景がだんだんと強い印象になって頭の中へ焼きついていった。/自由諸国や共産諸国の、世界中の人々が仲よく競い助け合う、オリンピックを一年中あるようにすればよいのにと思った(14)」。
オリンピック大会本番に向けて、式典についても9月中旬から予行演習が繰り返し行われた(15)。そのうち、10月3日に行われた第2回模擬練習に青南小、氷川小、檜町小5・6年の児童が参加している。しかし詳細は記されておらず、不明である。