〔(7) オリンピックを受けて〕

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では、オリンピック東京大会から、子どもたちはどんなことを学んだのだろうか。氷川小学校では、オリンピックをどのように受け止め、将来に生かしていくかという観点から座談会を行っている。参加児童からは、水泳の不振からの振興策、女子バレーボールの優勝から「努力すれば何でもできる」精神、道路の整備継続希望、国際交流の大切さといった意見が出た(21)。
1964大会は、もちろん教師にも大きな影響を与えた。
鞆絵(ともえ)小学校の布川哲夫教頭は、昭和38年度(1963年度)を振り返って「またオリンピック開催による活きた教材を随時にとりいれて国際的視野を広め、(中略)例年にない尊い教材を活用しながら指導に努めてきた」とし、具体的には「オリンピックの開催によって、情景を適宜に教材として活用したが、国民的自覚を高め、国際理解を深めるには、またとないよい機会であった/真剣な選手の活動を見ては『成せばなる』の根性を養う教材となし、立派な施設を見ては日本国力の偉大さを感得させ、子どもの教育には好き教材であった/『ともえ』の子どもに望むものは、強い体力とねばり強い根性である/オリンピックの開催によって与えられた教材を本校では尊い教材として活用しなければならないと思っている(22)」と述べている。他にも教職員から「根性」や「やればできる」などの「根性」論が述べられた。先述の氷川小学校による座談会でも、職員の部では「根性」の養成について、学校の教育目標と関連づけて話されていた(23)。オリンピックから「根性」論を導き出す議論は、他の小学校児童、教師の間でも見られるが、教師の方がより強調していたといえる。