〔(6) 冷静な中学生と教師〕

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中学生によるオリンピックへの感想の特徴としては、オリンピックに感動する意見も多いが、オリンピックが開催されている現状に対しては、礼賛一辺倒ではないことが挙げられる。前述の開会式の中継に感動した朝日中学校生徒は一方で、オリンピックに参加しなかった国の存在を指摘し、「世界はまだ一つになっていない証拠ではないだろうか。もし一つに結ぶことが出来たら、どんな素晴しいだろう」と、平和の祭典という理念が実現していないことを憂いている。また、北芝中学校の生徒が聖火ランナーの随走者に選ばれたことについて、校誌『若鮎』では当該年の7大ニュースに取り上げたが、「校長先生は、にこにこ顔」と、学校の名誉を茶化すかのような記述をしている(36)。愛宕中学校の生徒作文の中には、オリンピック道路同様、他の道路についてもきれいにしてほしいと訴えるものもあり(37)、赤坂中学校誌『あかさか』はオリンピック道路の元生徒の家があった場所周辺の写真を掲載している(38)[図13―6]。小学生より発達が進んだ中学生にとっては、地元開催オリンピックだけに裏側まで見えてしまい、すべてが素晴らしい行事とは感じられなかったのだろう。
教師も冷静な視線を忘れていない。港中学校生徒会がオリンピックについての意見を募ったところ、「メダルをとれ、日章旗を上げろ。そりゃーその気持もわかるけれど、その為にオリンピック用選手を養成しなけりゃならなくなっている五輪大会には、もうアマチュアリズムはない。クーベルタンが泣いていよう(39)」と、国家の要請による選手養成に批判的な意見を述べた教師がいた。


[図13-6] 五輪道路

オリンピック道路のために立ち退きを余儀なくされた生徒であろうか。かつて家があったあたりを指さす後ろ姿は、心なしか寂しそうである。
出典:赤坂中学校『あかさか』第8号、昭和40年3月