明治時代から外国人が比較的多く居住していた港区域は、国際交流や国際理解教育も先駆的な動きが見られた。
戦前はまだ国際理解教育といった明確な取り組みはなかったが、キリスト教学校では直接外国人教師と関わることで人間的な交流を生み出す様子も見られた。一方、昭和60年頃より先駆的に国際理解教育を実施して、姉妹校提携などの取り組みが模索された。しかし、この時期はまだ手紙や作品の交換などくらいしかできず、交換するのにも時間がかかったため、思うような頻繁な交流は生まれなかった。この頃の資料のほとんどは教師側学校側の取り組みの紹介であって、子どもたちの「暮らし」の中で外国人との日常的な交流があったかどうか、国際理解教育が子どもたちの国際感覚をどのように育てたのかについては、うかがい知るのは難しい。
平成期に入る頃から、より日常的恒常的に国際理解教育が行われるようになる。徐々に外国籍の児童も増え、地域にも外国人向けの店舗が増えるなど、環境そのものが国際化していったことに伴い、東町幼稚園のように月2~3回外国人講師を迎えて、より対話的な人的交流を行う機会が増えていった。
近年はインターネットの発達もあり、さらに身近で手軽に国際交流ができるようになってきている。今後の課題としては、これらの交流が児童にとって主体的で必然的なものとなっているかどうかが問われるだろう。教育内容の検討が一層求められる。