授業料領收手續ハ明治十年三月左ノ通リ定メラル
第一條
授業料領收ハ領收規則ノ如シト雖モ其貧富ニ應シ金額ヲ定メ納メシムルハ學區取締世話掛ニ於テ其父兄ト合議スベシ
第二條
各校ニ於テ授業料領收簿ヲ製シ人名全員等ヲ明瞭ニ記載シ置キ每月出納表ニ登記スベシ
第三條
授業料領收證紙ヲ學務課ヨリ請取リ之レニ生徒ノ姓名族籍金員等式ノ如ク記載シ學區取締教員之ニ捺印シテ尚學務課ノ割印ヲ請フテ生徒ニ附與スベシ
第四條
每月授業料ヲ領收スル時ハ金員ヲ領收證ニ添ヘテ出サシメ教員世話掛之ニ捺印シテ本人ニ下附スベシ
第五條
授業料ハ一月ヲ前後ニ分チ十五日前ニ入校スル者ハ其全額ヲ出サシメ十六日後ハ半額ヲ出サシム退校ハ之レニ反シ十五日前ハ半額十六日後ハ全額ヲ出サシムベシ
明治十九年十一月十八日時ノ區長久住秋策生徒授業料改正ニ付テハ左ノ規定ニ從ヒ來ル十二月一日ヨリ取扱フベキ旨ヲ達セラル
生徒授業料取扱規程
第一條 授業料ハ府令第二十五號第二條ニヨリ每月二十一日ヨリ二十五日ニ至ル五日間ニ於テ徴收スベシ 但
シ退學スル者ハ其許可ノ日ニ於テ之ヲ徴收スベシ
第二條 前規程第五條ニ同シ
第三條 授業料高等科金五拾錢以上壹圓以下尋常科ハ金參拾錢以上七拾錢以下ノ範圍内ニ於テ更ニ之ヲ小分シ
生徒ノ分限ニ應シ納メシムベシ
但シ各末等ノ金額ヲ納ムルコト能ハサルモノハ其學校ニ於テ事情取調ノ上本人ヨリ區役所ヘ願出セシムベシ
高等科授業料 尋常科授業料
一等 金壹圓 一等 金七拾錢
二等 金九拾錢 二等 金六拾錢
三等 金八拾錢 三等 金五拾錢
四等 金七拾錢 四等 金四拾錢
五等 金六拾錢 五等 金參拾錢
六等 金五拾錢
第四條 授業料納額ハ現在生徒ニ在テハ本月三十日迄ニ納額證書ヲ差出サセ自後入學スル生徒ハ入學願書ニ納
額ヲ記入セシムベシ
第五條 授業料納額ハ第一號ニヨリ毎月十八日迄ニ區役所ヘ報告スベシ
第六條 授業料ハ毎月二十日ニ於テ第二號ニ依リ紙袋ヲ發付シ收入スル時ハ第三號ニヨリ領收證ヲ附與スベシ
第七條 授業料ハ前日收入セシ現金ハ翌日區役所出納掛ヘ假納シ翌月三日迄ニ第四號納證ヲ差出スベシ若シ納
期ヲ過キ納メサルモノアル時ハ第五號ニ依リ其人名金額ヲ區役所ヘ申出指揮ヲ受クベシ
第八條 授業料徴收簿ハ第六號甲乙ニ據リ調製スベシ
(書式並ニ雛形略ス)
明治四十一年度ハ從前通リ五學年以上ハ八拾錢四學年以下ハ貮拾錢ト定メラル
明治四十二年度ハ六學年ノミ八拾錢五學年以下ハ貮拾錢ト定メラレ從來ノ徴收方法ヲ改定シ八十錢分ハ青色二十銭分ハ淡紅色三綴長ケ徴稅用紙形トシ每月一日期日ヲ定メ東京興業銀行員一名乃至二名出張シテ授業料ヲ査收シ事務員ハ之ニ立會ヒテ調査スルモノトス
明治四十三年度以降ハ各學年トモ貮拾錢ナルヲ以テ用紙モ一定白色ヲ使用セリ自後年度ニ因リ用紙ノ色ヲ變更セリ
(桜川小学校『沿革誌』)
【付記】明治三十三年の四年義務教育制度により授業料は徴収しないことになっていたが、実際はその後も徴収されていたことがこの資料から伺える。