港区教育委員会委員選挙について
東京都港区選挙管理委員会
こんど区に教育委員会がおかれることになりました。
区の教育委員会は五人の委員でつくられますが、その内一人は区議会議員の中から選ばれ他の四人は区民の直接選挙によつて定められその選挙が十月五日に行われます。
区の教育委員の任期は本来四年でありますが今度行われる選挙では任期四年の委員二人と任期二年の委員二人とを選ぶことになり、今後二年毎に定員の半数の二人宛選挙することになります。
区の教育委員会が設けられましたのは教育が公正な民意により地方の実情に即して民主的に行われるようにするためでありまして、区の教育委員会は従来主として区長のもとで行っておりました区立中、小学校、幼稚園 図書館等の教育機関の設置運営並に学校設備の整備、学校衛生、社会教育等に関する事務を掌る教育行政執行の機関であります。
区の教育委員会には教育長以下の職員を持つ事務局が置かれ、委員会の指揮監督のもとにこれ等事務を行うことになります。
かように区の教育に関する極めて重要な仕事を担当する委員会の委員には教育について深い理解と識見を持つ公正な人を選ぶことが絶対に必要であります。
この選挙には裏面に記載した方々が立候補して居られますが、区民の皆さん方には棄権せず必ず投票してよい委員の方を選出して下さい。なお、当日は都の教育委員会委員の選挙も併せて行われます。
初めて行う
港区教育委員会委員選挙
一〇月五日には
公正明朗な人を選びましよう
港区選挙管理委員会
一〇月五日港区教育委員会委員選挙候補者
無所属
川瀬 潔(かわせ きよし)
(五十六才)
明治二十九年一月六日生
住所 港区芝西久保城山町七
職業 虎の門川瀬外科病院長
略 歴
一、東京帝大医学部卒
一、医学博士
一、日本外科学会評議員
一、元全国都市衛生組合聯合会長
一、元文部省公民講座講師
日本共産党
井出 ひろ子(いで ひろこ)
(二十九才)
大正十二年七月一二日生
住所 港区赤坂青山南町六の一〇八
職業 著述業
略 歴
一、女子学習院本科高等科、津田塾専門学校卒業
一、元新宿区四谷第四小学校教諭
一、教育民主化のための児童教育図書編集、戦爭反対、平和を守る運動に従事
無所属
多久 安信(たく あんしん)
(六十二才)
明治二十三年一月七日生
住所 港区麻布広尾町二
職業 団体役員
略 歴
一、東大法科卒
一、元岡山、青森、千葉各縣知事
一、元東京市教育局長
一、元東京市助役
一、元全国農協連合会会長
無所属
奈良岡 一(ならおか はじめ)
(四十二才)
明治四十三年一月三日生
住所 港区麻布北日ヶ窪町三七
職業 団体役員
略 歴
一、昭和四年三月豊島師範学校卒
一、昭和十年三月日本大学高等師範部卒業
一、昭和二十二年四月港区議会議員当選
一、昭和二十四年六月笄小学校退職
一、東京都教職員住宅助成会副部長
無所属
山下 与吉(やました よきち)
(四十八才)
明治三十六年五月十六日生
住所 港区麻布霞町一
職業 山下蓄電池株式会社々長
略 歴
一、元麻布区学務委員
一、区議会議員、当選二回
一、専修大学校友会港支部長
一、港区遺族連合会理事
一、麻布教育会理事
無所属
小穴 武男(おあな たけを)
(五十五才)
明治三十年五月三十一日生
住所 港区赤坂青山南町五丁目四五
職業 東和建設株式会社取締役
略 歴
一、大正八年東京府立青山師範学校卒
一、日本大学法文学部法律学科卒
一、港区赤坂、氷川兩小学校に在職二十年
一、日本橋、大森の青年学校長として在職七年
一、池田建設株式会社庶務課長、労務課長在職六年
無所属
吉田 芳雄(よしだ よしを)
(五十三才)
明治三十二年五月十日生
住所 港区芝三田一丁目二六
職業 飲食業、株式会社中村電気常務取締役
略 歴
一、元港区議会教育常任委員長
一、元二十三区教育委員長連合会副会長
一、赤羽小学校PTA顧問役員二十五年
一、保護司
一、三田一丁目自治会長(一交会)
(『港区政ニュース』号外 昭二七・九)
【付記】昭和二十七年十月五日に行われた港区教育委員の選挙は、秋の行楽の日曜日と重なって各投票所とも投票率が低く、区全体の投票率は二割三分二厘であった。なお、無効投票、特に白票が多いという状態であった。
選挙の結果は、得票順位により川瀬潔氏と吉田芳雄氏が任期四年、奈良岡一氏と多久安信氏が任期二年となった。