三原山噴火による大島町児童・生徒の受入れ

  大島の児童・生徒が区立小中学校に
  緊急入学
   大島町民受入れ対策
 十一月二十一日午後、伊豆大島・三原山の大噴火に伴ない、大島町では、全島民に対し避難命令を出すという事態となり、翌二十二日早朝には、島民を乗せた避難船が日の出、竹芝、晴海の各桟橋に到着、港区をはじめ、千代田、中央、江東の四区が、東京都の要請により、避難者全員を学校や体育館等に一時受入れをしました。
 その後の避難所の救援活動、児童・生徒の緊急入学等、そして十二月二十二日の全員帰島まで、その対応に追われながらの一か月でしたが、各区にとっても初めての経験で戸惑いがあったとはいえ、防災対策の面で貴重な経験をしたということがいえるのではないでしょうか。
 そこで、十一月二十一日以降一か月の教育委員会や学校の対応状況をふり返ってみたいと思います。
 十一月二十一日午後十時、東京都災害対策本部からの連絡により「三原山噴火による大島町民受入れ対策本部」が設置されました。午後十時四十五分都知事から区長あてに港区、千代田区、中央区、江東区の四区で各三、〇〇〇名の受入れについて要請があり、区受入れ対策本部では、直ちに受入れ施設として、スポーツセンター、婦人会館、芝浦小学校、神明小学校、芝小学校、勤労福祉会館を予定しました。
 教育委員会は、各受入れ校にこの旨連絡するとともに、教職員の緊急招集を要請しました。
 翌二十二日午前四時三十分には避難者第一陣「しきね丸」が日の出桟橋に到着、その後午前七時「すとれちあ丸」が竹芝桟橋到着、避難者二、四四二名を各施設に受入れました。内訳は、スポーツセンター一、九四九名、婦人会館一九二名、芝浦小学校二〇〇名、神明小学校一〇一名でした。
 東京都災害対策本部は、同日、大島の小中学生を来週中に学校に仮入学させる準備を進めるよう関係機関に連絡、区教育委員会では、直ちに準備態勢に入りました。
 二十三日には、各施設を回り、児童・生徒の保護者に緊急入学の手続等についてのチラシを配付、説明を行いました。
 内容は、入学手続=十一月二十四日(月)手続場所=芝浦小学校、神明小学校、入学年月日=十一月二十六日(水)なお、入学受入れ校は当日発表するというものでした。
 都教育委員会は、学務課長会を招集し、入学に当っての区の対応を指示しました。
①入学に際しての学用品の支給(三、〇〇〇円程度)
②入学の扱いは正式の入学とする。
③給食代は立替えをしておくこと。
④受入れは遅くとも二十六日までとする。
 二十四日午前十時から入学申込みを受付け、二十六日午前九時から、芝浦小、神明小において、緊急入学の受付けを実施、当日就学通知書を受けた児童、生徒は、小学校二一三名、中学校一三六名、計三四九名でした。
 この日、芝浦小においては、区長のあいさつに続き、就学通知書交付、入学校の発表、を行ない、区教育委員会職員の誘導により、それぞれの受入れ校に向いました。
 受入れ校では学用品(鉛筆、筆箱、消ゴム、ノート、下敷、定規、傘、手提袋、鉛筆削り、体育着、運動ぐつ等)を支給しました(説明)。
 一方、区受入れ対策本部では、小学校体育館を長期間使用しておくことは、正常な学校運営上好ましくないとの判断から、避難者との話合いの結果、神明小学校及び芝浦小学校の避難者の勤労福祉会館への転居が決められ、十一月二十七日午前中、神明小学校、十一月三十日午前中、芝浦小学校からそれぞれ勤労福祉会館へ移転しました。
 十二月三、四日には、避難所の環境改善を図るため、スポーツセンターに避難していた者のうち六一〇名が大田区の施設に移転しましたが、就学児童、生徒のいる世帯の移転希望者は僅かでした。
 これは、緊急入学直後だったため敬遠されたものと思われます。
 その後、噴火も小康状態が続いているところから、東京都災害対策本部では、住民の要望もあって一時帰島を計画、十二月三日から四回に分けて、一時帰島が行われ、七日に完了しました。
 八日には、火山噴火予知連絡会が「火山活動は一応休止に向いつつあるものと考えられる」とのコメントを発表、避難者をはじめ、関係者をほっとさせました。
 東京都災害対策本部では、次の焦点である本格的帰島の時期の具体的検討に入ったのですが、クリスマスまでには全員帰島を完了させたいとの意向をもち、火山予知連絡会の観測、分析結果を待って、その判断をすることになっていました。そして、十二日午前中に火山予知連絡会が、「火山活動は、短期的に見れば休止に向いつつある」との統一見解を出したのを受けて、東京都災害対策本部は、その日の夜、全員帰島を決定、十九日から帰島を開始し二十日には完了する日程を発表しました。
 十九日夜から始まった帰島もあわただしい四日間でしたが、二十二日には全員帰島が完了しました。
 十一月二十一日の受入れから、十二月二十二日の全員帰島まで大きな混乱もなく無事終了したことは、大変喜ばしいことで、特に町民及び児童、生徒の受入れ校の校長はじめ、教職員の皆さん、それにPTA等関係者のご協力が大きかったと思います。
 教育委員会職員も各避難所への動員、緊急入学に関する事務等に追われながらも、この間頑張ってきました。
 いまから考えるとあっという間の一か月でしたが、今回の出来ごとを通じて、教育委員会と学校が一致協力して事に当った経験は大きいものがあります。
 この経験を今後の学校教育運営の面にも生かしていきたいものだと考えます。

(港区教育委員会報『ひろば』昭六一)