當區公立麻布小學附屬夜學校之儀都合有之當分飯倉小學校内ヘ設置候旨本年二月中上申及ヒ置候處今般更ニ飯倉小學附屬夜學校ヘ合併候條御認可相成度此段上申候也
但シ從前繼續致來候書籍器具等之儀モ都テ同校ヘ合併仕度候條此段副申候也
明治十五年六月十五日
東京府麻布區
學務委員 多羅尾 光 應
同 竹 中 萬壽藏
笠 井 庄兵衞
藤 井 八十吉
東京府麻布區長 前 田 利 充
東京府知事 松田 道之殿
明治十五年六月十六日
學 務 課
麻布小學付屬夜學校ヲ廢シ飯倉小學付屬夜學校ト合併云々別紙之通學務委員幷ニ區長ヨリ上申有之右ハ該校設立之際區會之決議ヲ經認可相成候義ニ付廢合サルルニ至ルモ區會ノ決議ヲ經ルニアラサレハ認可難相成義旨存候條依而左之通照會致シ可然乎相伺候也
按
區長宛 課 長
麻布小學附屬夜學校ヲ廢シ更ニ飯倉小學附屬夜學校江合併云々上申有之候處右ハ區會ノ決議ヲ經テ上申可有之義旨ニ存候條一應及御照會候也
但別紙爲念一應及御返却候條御領掌有之度候也
別紙夜學校合併上申之儀區會ノ決議ヲ經テ上申云々御照會之處右ハ本年五月通常區會ニ付シ既ニ本月八日付ヲ以テ決議書上申濟ニ付其旨御了承有之度仍テ別紙ハ返却此段及御答候也
明治十五年六月二十一日
麻布區長 前 田 利 充 印
學務課長 伊藤 徹殿
第八五號
明治十五年六月二十二日
麻布區學務委員ヨリ麻布小學付屬夜學校之義飯倉小學付屬夜學校江合併云々該區會之決議ノ旨ヲ以テ別紙之通上申候條實際不都合無之義ニ付御認可相成可然乎御指令案共相伺候也
按
書面之趣認可候事
年 月 日 知 事
(都公文書館資料)
【付記】明治十年に不就学児対策と職業適応のために夜学校が開設された。明治十四年には、東京府の財政緊急政策によって府立の庶民夜学校は廃止されたが、港区地域では各区が引き継いだ。芝区では鞆絵・桜川・南海、麻布区は麻布・南山・飯倉、赤坂区は赤坂の各小学校に付属の庶民夜学校が存続した。しかし、実際には就学児が少ない状況から本資料のように麻布区では隣接校との合併を行っている。