明治初期の家塾と私立学校

   歳泉堂〔山本學校の前身〕
十三小區   當時丹後町
赤坂黒鍬谷 歳泉堂受領地
 表間口   三間一尺
 裏行    二十三間
  此坪七十五坪
   一ヶ月地代
    銀三匁七分歩リン
     此金三分也          但シ表裏平均 銀三匁七分五リン
      但シ□路雪隱等之空地相除キ不申□ニ御座候
 
     西隣家續キ御拂下ケ地
 
同斷
 同所
 表間口   同斷
 裏間口   同斷
   此坪七十五坪
    右御拂下ケ代金一兩二分ト六匁六歩
右之通リ相違無御座候也
壬申                             貫屬卒
 六月                              山 本 傅 西
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歳泉堂敷地


山本尋常小学校平面図

(港区郷土資料館所蔵)


 
【付記】歳泉堂は江戸末期から明治初期にかけての家塾である。港区地域内の寺子屋や家塾の中では最大で、生徒数は三百名以上を数えた。その後明治八年山本学校と改称した。学制発布後、東京府では、既存の寺子屋や私塾家塾を育成して、私立小学校に改めていった。山本学校も明治十五年私立小学校となり、山本尋常小学校となった。その後、明治二十六年代用小学校となったが明治三十年に廃校となった。