桜川尋常小学校増築

   芝區市立櫻川尋常 高等小學校沿革
 設 立
本校ハ舊木下侯ノ邸趾ニシテ愛宕下町四丁目三 四番地ニアリ愛宕山其西ニ峙チ日陰町通リ其東ヲ馳セ前ハ仙臺邸ニ封シ市家三方ヲ圍ム實ニ芝區繁華ノ中心タリ然レトモ構内千百有餘坪ナリ故ニ敢テ塵埃ノ侵ス所トナラス所騒熱閙ノ中別ニ一靜閑地ヲ占ム都下學校ノ好地位ヲ占ムルモノ多シト雖トモ本校ノ地位敢テ他ニ讓ラサルモノト云フヘキナリ
校舍ハ木造平家瓦葺ニシテ木下侯ノ舊宅ナリ爾來増築改造等屢々ナリト雖トモ玄關ノ舊體依然存スルヲ以テ一暼建築ノ舊キヲ知ルベク明治ノ初年郷塾ヲ邸内ニ設ケ名ケテ育幼社ト云ヒ幼童ヲ集メテ英漢數等ノ學科ヲ授ク此レ本邸ヲ以テ學庭ニ充ツル嚆矢ニシテ本校今日ノ隆盛亦タ遠ク基ノ此時ニ開クモノトス
明治六年四月文部省令ニヨリ小學校ヲ此處ニ設ケ公立櫻川小學校ト稱シ東京府廳ノ管轄ニ屬ス是レ本校ノ起原ニシテ教場及ヒ其坪敷第一圖ノ如シ
當時生徒ノ數男女合セテ百名ニ出ラス然レトモ日々増加ノ勢アリ由テ明治七年四月更ニ教場ヲ増築シ其圖第二圖ノ如シ
同十三年四月ニ至リ入學スルモノ俄カニ増加シ教場狹隘ヲ告ク由テ又三教場ヲ増築シ以テ入學志願者ノ望ヲ滿タサントス工成リ生徒ヲ入ルニ當リ亦タ忽チ狹隘ヲ感ス然レトモ經費意ニ任セス遽カニ工事ヲ起スヘカラス爾來入學ノ望ムモノ日ニ多ク一々之ヲ謝絕スルハ事務取扱上大ニ難事ヲ覺エシム當時ノ校舍第三圖ノ如シ
明治十八年十二月茲ニ漸ク教場三箇所ヲ増築シ僅カニ入學者ノ十分一ニ應スルヲ得タリ是レ本校今日ノ形態ニシテ職員十二名生徒殆ント四百有餘名アリ
明治二十二年四月廻廊ヲ増築シ教場ノ管理稍々便利トナリ而シテ家屋ノ總坪数ハ二百五十五坪四合九勺六才アリ即チ第四圖ノ如シ
明治二十三年六月生徒便所(三間半)ヲ新設シ舊便所ヲ廢シテ教場ノ模樣替ヲナス是ニ於テ管理ニ一層ノ便利ヲ加フ卽チ第五圖ノ如シ
明治二十四年十月更ニ教員便所ヲ毀チ物置ヲ廢シテ其便所ニ修繕シテ之ニ代フ卽第六圖ノ如シ
爾來生徒漸クニ増加シ校舍ハ從テ狹隘トナリ加之ナラス年月ヲ經ルニ從ヒ朽壞用ニ堪ヘス柱傾キ軒破レテ復タ修繕ヲ加フヘカラサルニ至レリ然レトモ改築ノ議未タ熟セス空シク經過セシカ時維シ明治二十六年十二月二十一日ノ區會ニ於テ逐ニ本校芝鞆繪ノ三校同時ニ改築スベキノ議決ス
  〔略〕

(『桜川小学校沿革誌』)


      ――――――――――――――――――――――
   公立小學校増築之義ニ付伺
當區公立櫻川小學校々舍増築之義區會之決議ニ依リ別紙圖面朱線之通教場及小使詰所共全坪五十一坪増築致度候條至急御認可相成度比段相伺候也
  明治十八年七月十四日
                             芝區長 梅 田 義 信 印
                          芝區學務委員 谷   衞 久 印
 東京府知事 渡邉 洪基殿
 
第三七一號
明治十八年七月十六日
   公立櫻川小學校増築之件
                                   芝 區 長
                                   同學務委員
右區會之決議ヲ經増築儀別紙伺出取調候處構造方別段不都合廉モ無之依リ左ノ御指令按相伺候也
   按
書面之趣認可候事
    年 月 日
                                  長  官

(都公文書館資料)


 
【付記】生徒の増加により、開校以来増築を重ねること五回、校舎の総坪数は二百五十五坪となる。本増築工事により、片側廊下、南面教室が実現した。

桜川小学校平面図


 

(桜川小学校資料)