<参考>太平洋戦争中の国民学校施設転用

 国民学校名      施    設    名 (始終年月日)
桜 田  食糧営団、海軍
南 桜  戦災者収容(開始昭和二〇・四・一五 閉鎖昭和二〇・五・三〇)
     戦災者収容(開始昭和二〇・五・二五 閉鎖昭和二〇・六・一五)
     海軍部隊(開始昭和二〇・六・二八 閉鎖昭和二〇・九・二五)
西 桜  〔不詳〕
鞆 絵  関連信越総監府
桜 川  〔不詳〕
神 明  浜松町郵便局(開始昭和二〇・一〇 閉鎖昭和二〇・一二)
     鉄道管理部保線区(開始昭和二〇・八 閉鎖昭和二二・三・三一)
     都用度課(開始昭和二〇・七 閉鎖昭和二三・三・三一)
     浜松町総合配給所(開始昭和二〇・七 閉鎖昭和二三・三・三一)
竹 芝  〔不詳〕
芝    〔戦災 不詳〕
赤 羽  〔不詳〕
南 海  〔不詳〕
芝 浦  陸軍部隊(開始不詳 閉鎖昭和二一・五・二三)〔戦災〕
御 田  〔戦災 不詳〕
高輪台  防衛招集部隊(開始昭和二〇・二・ 閉鎖昭和二〇・八・一五)
白 金  海軍部隊駐留(開始昭和二〇・四・一〇 閉鎖昭和二〇・八・三〇)
三 光  〔不詳〕
神 応  〔戦災 不詳〕
麻 布  戦災者収容、陸軍工兵隊、陸軍衣料班、陸軍通信隊(開始昭和一九・八頃 閉鎖昭和二一・二頃)
 (三河台を含む)
南 山  〔不詳〕
本 村  学校周辺の民家の強制疎開で解体のため軍隊が約一ヵ月程使用(昭和二〇・二頃)
笄    東部八部隊(開始昭和一九・九・二九 閉鎖昭和一九・一一)
     罹災者(開始昭和二〇・三・一〇 閉鎖昭和二〇・三・一四)
     罹災者(開始昭和二〇・五・二五 閉鎖昭和二〇・六)
飯 倉  〔戦災 不詳〕
東 町  〔戦災 不詳〕
赤 坂  〔戦災 不詳〕
青 山  東部第一六部隊(開始昭和一九・八・一〇 閉鎖 不明)
     赤坂区役所及 戦災者収容所(開始昭和二〇・五・二五 閉鎖 不明)〔戦災〕
檜 町  歩兵一連隊の部隊(開始昭和二〇・六 閉鎖昭和二〇・八)
     米穀配給所(開始昭和二〇・五 閉鎖昭和二三・三)
 (当時乃木)
青 南  陸軍の兵舎に使用、部隊名不明(開始昭和一九・九・一以降 閉鎖昭和二〇・八・一五以前)〔戦災〕
氷 川  〔不詳〕

(『港区史』)


 
【付記】太平洋戦争末期の昭和二十年には、空襲の被害による罹災者の待避所や軍事目的のため、国民学校施設の軍事利用が増え、焼失した学校を除き、殆んどの学校の施設が転用された。