芝麻布共立幼稚園

  芝麻布共立幼稚園
勸工場(かんこうば)の東隣(とうりん)芝公園(しばこうえん)第六號地三番に、芝麻布共立幼稚園(きょうりつようちえん)なるものあり、園長(えんちゃう)を田中房子を云い、明治十七年(ねん)十月の設立(せつりつ)なり、本園(ほんえん)は其創始(そのはじめ)嶽蓮社の隣地(りんち)にありしを、學業擴張(がくげふくゎくちゃう)の爲め同(どう)二十六年中(ねんちう)、現在(げんぢう)の地(ち)に轉(てん)じ翌(よく)二十七年一月より開始(かいし)せしと云(い)ふ、其要旨(そのえうし)とするところは、學齡未滿(がくれいみまん)の幼兒(ようじ)を保育(ほいく)して、家庭(かてい)の教育を授(さづ)け、學校教育(がくこうけふいく)の基礎(きそ)を成(な)さんが爲め、務(つとめ)て徳性(とくせい)を涵養(かんよう)し、身體(しんたい)を發育(はついく)し、智能(ちのう)を開導(かいだう)せんとするにあり、而(しか)して入園(にうえん)を許(ゆる)すべき幼兒(ようじ)は、男女(なんにょ)年齡(ねんれい)、大約(おおよそ)滿(まん)三年以上(いじゃう)滿(まん)六年以下(いか)とし、年齡(ねんれい)に由(よっ)て、一の組より三の組まで三別(べつ)す、又(また)保育(ほいく)の時間(じかん)は四時間(じかん)となし、土曜日(どようび)及夏休(かきう)の前(ぜん)三週後(しうご)二週(しう)は、各(かく)三時間(じかん)とせり、保育(ほいく)の場所(ばしょ)は、遊戲室(ゆうぎしつ)開誘室(かいゆうしつ)庭園(ていえん)と定(さだ)む、されど時々(じじ)幼兒(ようじ)をして芝公園内に誘導(ゆうどう)し、實地(じっち)動植物等(どうしょくぶつとう)を目撃(もくげき)せしめ、其(その)名稱等(めいしょうとう)を指教(しけふ)することあり、茲(こヽ)に入園(にうえん)を望(のぞ)むものは、引受人(ひきうけにん)より入園證書(にうえんせうしょ)を出(だ)し、保育料(ほいくれう)として一ヶ月金(げつきん)壹圓(えん)、竝(なら)びに玩具料(がんぐれう)として金(きん)拾錢(せん)を拂(はら)へば、臨時入園(りんじにうえん)を許諾(きょだく)す、保育科目(ほいくかもく)は下(しも)の如(ごと)し、
 
 修身(しゅうしん) は幼兒(ようじ)に適當(てきたう)したる、日常(にちちゃう)の行儀作法(ぎゃうぎさほう)を教(をし)え、專(もっぱ)ら徳義(とくぎ)を涵養(かんよう)す、
 庶物(しょぶつ) は成(な)るへく、近易(きんゐ)なる動物(どうぶつ)植物(しょくぶつ)器具等(きぐとう)に付き、幼兒(ようじ)の智能發逹(ちのうはったつ)の度(ど)に從(したが)い、適宜(てきゞ)に說話(せつわ)す、
 球遊(まりあそび) は六(むっ)ツの小手毬を與(あた)へて、色(いろ)の差別(さべつ)を知(し)らしむるを主(しゅ)とし、兼(かね)て之(これ)を前後左右(ぜんごさいう)に動(うご)かし、其(その)方向(ほうかう)の名(な)を曉(さと)らしめ手(て)の運用(うんよう)を習(なら)はしむ、
 積方(つみかた) 木の積立(つみたち)は立方體(りつほうたい)、長方體(ちゃうほうたい)、方柱體(ほうちうたい)、三角柱體(さんかくちうたい)の木片(もくへん)を與(あた)へ門(もん)、家橋等(かけふとう)の形を積立てしめ、或(あるひ)は種々(しゅじゅ)の形を排(なら)べしめ、以(もっ)て構造(こうぞう)の力を養(やしな)ふを主(しゆ)とし、兼て邊角形體(へんかくけいたい)の觀念(かんねん)を得(え)せしむ、
 板排(いたならべ) は彩色(さいしき)せる薄(うす)を正方形、三角形の小板(こいた)を與(あた)へて、門(もん)、家等(いへとう)の正面(しゃうめん)、或は側面(そくめん)其他種々(しゅじゅ)の形を排(なら)へしめ、以(もっ)て美麗(びれい)を好(この)むの心(こヽろ)を養ふを主とし、兼(かね)て角度(かくど)の大小等の觀念(かんねん)を得(え)せしむ、
 箸排(はしならべ) は大約(おおよそ)八分(ぶ)より四寸(すん)までの、五種(しゅ)の細長(ほそなが)き箸(はし)を與(あた)へて門、梯、家、机等の輪廓(りんかく)を排(なら)へしめ、以(もっ)て工夫(くふう)の力を養(やしな)ふを主(しゅ)とし、兼て長短(ちゃうたん)の觀念(かんねん)を得(え)せしむ、
 縄排(なわらべ) は眞鍮(しんちう)の全縄、半縄を交(まじ)へ與へて、種々(しゅじゅ)の形(かたち)を排へしむ、間々箸(まヽはし)を交(まじ)へ與(あた)ふることあり、其(その)目的(もくてき)略々(りゃくりゃく)箸排に同し、
 畫方(えがきかた) 書き方は始(はじめ)には罫(けい)ある石盤(せきばん)の上(うへ)に、縱線(じうせん)、横線(わうせん)、斜線(しゃせん)を以て、物(もの)の略形(りゃくけい)を書(か)かしめ、終(をわり)には鉛筆(えんぴつ)を以て、之(これ)を罫(けい)ある紙(かみ)に書(か)かしむ、
 縫取(ぬいとり) は刺し穿(さしうが)ちたる紋形(もんがた)、花(はな)、草等(くさとう)の形を色絲にて縫取(ぬいと)らしむ、
紙剪(かみきり) は色紙(いろがみ)を與(あた)へて方形、半角形等に剪(き)り、之(こ)れを白紙(しろかみ)の臺紙(だいし)に粘付(はりつけ)て、種々(しゅじゅ)の形(かたち)を造らしめ、或(あるい)は種々の紋形等を剪抜(きりぬ)かしめ、以(もっ)て工夫(くふう)の力を養ひ、兼(かね)て剪刀の用ひ方(かた)を知(し)らしむ、
 繋方(つなぎかた) は始(はじめ)には彩色(さいしき)せる麥藁(むぎわら)の切(き)れと、孔(あな)を穿(うが)ちたる色紙(いろがみ)の切(き)れとを交(まじ)へ、絲(いと)にて繋(つな)かしめ、終には、南京珠(なんきんだま)を繋(つな)かしめ、以(もっ)て手指(てゆび)を練磨(れんま)し、緻密(ちみつ)の習慣(しうくゎん)を得(え)せしむ、
 紙織(かみをり) は細(ほそ)く裁(き)りたる色紙(いろがみ)を、織筋織筋とし、種々(しゅじゅ)の模樣(もよう)を編(あ)ましめ、以て色(いろ)の配り方(くばりかた)を知(し)らしむ、
 紙組(かみくみ) は細(ほそ)き色紙を、種々に組合(くみあは)せ、以(もっ)て工夫(くふう)の力(ちから)を養(やしな)ふ、
 紙袍(かみたヽみ) は色紙(いろがみ)を與(あた)へて、船(ふね)、鶴等(つるとう)の形を袍(たヽ)ましめ、以て想像力(そうぞうりょく)を養(やしな)ふ、
 豆細工(まめざいく) は細(ほそ)く削(けず)りたる竹(たけ)を、水(みず)に浸(ひた)したる豆(まめ)とを與(あた)へ、豆を以(もつ)て竹(たけ)を接合(つぎあは)せ、机(つくえ)、堂等(どうとう)の形を造(つぐ)らしむ、
 土細工(つちざいく) 粘土(ねんつち)を與(あた)へて菓物(くだもの)、家具(かぐ)、日用簡易(にちようかんゐ)の物(もの)を造(つぐ)らしめ以て模造(もぞう)の力を養(やしな)ふ、
 數方(かぞへかた) は專(もっぱ)ら果物等(くだものとう)によりて、加減剩除(かげんじゃうじょ)の初歩(しょほ)を教(おし)へ、數(かず)の觀念(かんねん)を得(え)せしむ、
 唱歌(うた) は容易(たやす)くして、面白(おもしろ)き唱歌(せうか)を口授(くじゅ)し、時(とき)に樂器(がくき)を以て之(これ)を和(わ)し、自(おのづ)から其(その)胸廓(きゃうかく)を開(ひら)きて健康(けんこう)を補(をぎな)ひ、其心を和(やわら)けて徳性(とくせい)を養(やしな)はんことを要(よう)す、
 遊嬉(ゆうぎ) は幼兒(ようじ)に適(てき)する者(もの)を選(えらび)て、之を爲(な)さしめ、以(もっ)て身體(しんたい)を健(すこや)かにし、精神(せいしん)を爽(さわや)かならしめんとす、
 會集(くゎいしふ) は每日(まゐにち)、先(ま)つ諸組の幼兒を遊戲室(ゆうぎしつ)に集(あつ)め、唱歌(せうか)を復習(ふくしふ)し、且(かつ)時々(ときどき)行儀等(ぎゃうぎとう)に就(つい)て訓講(くんくゎい)を加(くわ)ふるものとす、
本園(ほんえん)協力(けふりょく)賛成者(さんせいしゃ)は、鈴木大亮、山東直砥、櫻井忠興、小松崎茂助、子安峻、矢島作郎、村田一郎、笠井庄兵衞、富田鐵之助の諸氏(しょし)にして其(その)監督者(かんとくしゃ)は文學博士外山正一、バチエラーオフアート、榊田乃武、ドクトル、オフ、フヒロソフイー元良勇次郎氏なり別(べつ)に保姆(ほぼ)三名(めい)、保姆補(ほぼほ)三名(めい)を置(お)き、懇篤(こんとく)に保育(ほいく)し、幼稚(ようち)なる善男善女(ぜんなんぜんにょ)をして、うませざるは、其(その)教育(けふいく)の好(よろ)しきを證(しょう)するに足(た)りなん、尚(な)ほ別室(べっしつ)に附添女中控所(つきそゐじょちうひかへじょ)なるものを設(もう)け、其(その)付添人(つきそゐにん)をして、隨意(ずゐい)裁縫(さいほう)編物等(あみものとう)を爲(な)さしむるなど、用意至(よういいた)らざるところなし、

(『風俗畫報』「新撰東京名所圖繪」明一七)


 
【付記】明治十七年に港区で二番目に開設した幼稚園で、当時の入園の資格や保育時間、費用、教育内容などが記され、しかも漢字にふりがなをつけ分かりやすく解説されている。