今や國民學校制度の實施となり、皇國の道に則りて、天壤無窮の皇運を扶翼し奉る、皇國民の鍊成の上に益々故將軍御夫妻に學びて、修鍊すべきものゝ多いことを痛感するものである。仍て並に我が校名を「乃木國民學校と改稱して夙夜に校名の榮譽に感銘し一層乃木精神を身に體して、以て、皇國の忠誠勇武なる臣民の鍊成に勇往邁進せん」と心に深く期するものである。而してまたこの運動を通じて廣く一般世道人心の奮起を促さんと要望したのである。
尚この期に際して乃木室を設け將軍に關する所謂資料を蒐集陳列して兒童教育の爲め又一般人士の教養にも便せんとした。この事一度發表されるや非常な反響を招き將軍に關する又と得難い門外不出の遺品遺墨書籍寫眞等の寄贈貸與の數多きに今更ながら將軍の遺徳の偉大さに感激新なものゝあるを覺えた次第である。
數々の遺品の中特に衆目を聚めたものは次の樣なものである。將軍家使用の一杯茶碗、靜子夫人の出納覺帳、(淀橋區柏木の町田金六氏出品)將軍が明治十四年英國皇帝戴冠式に隨員として、渡英着用されたフロツクコート(杉並區荻窪の深澤政介氏寄贈)將軍上顎の歯型(牛込區餘丁町の木谷幸太郎氏寄贈)金時計、將軍が部下幕僚に恩賜を頒つと記して贈られしもの(品川區大崎町牟田正彥氏貸與)等である。
寄贈者芳名 自昭和十七年四月 至仝 十八年三月
乃木室
金參百圓也(維持金 他) 松田登三郎殿
掛軸(將軍筆) 中川十一郎殿
乃木將軍名刺 大森 忠二殿
掛軸(將軍遺言書)他 米山 孝一殿
乃木大將御兩親坐像他 乃木 神社殿
明治天皇御尊影他 下條於莵吉殿
人形「乃木將軍」 桃川 若燕殿
寫眞「乃木大將參内」他 讀賣新聞社殿
乃木大將上顎型(石膏) 木谷奉太郎殿
フロツクコート其の他 深澤 政介殿
乃木大將立像 稻垣新次郎殿
乃木院長寫眞帖 倉橋郁太郎殿
乃木大將書翰及說明書 竹内 重利殿
東京日日新聞(當時) 嶋田 義雄殿
色 紙 由井清一郎殿
中央新聞(當時) 下嶋しま子殿
寫眞「馬上の將軍」他 東日新聞社殿
寫眞「兩令息」他 同盟通信社殿
乃木大將額面 他 吉岡 永美殿
乃木將軍餘香 中村 新八殿
乃木將軍實傳 小野崎龜助殿
萬朝報號外 他 高橋 大郎殿
書籍「乃木」スタンレー 服部 靜雄殿
繪 葉 書 木村 正三殿
レコード乃木大將 淺間 重藏殿
書籍「乃木希典」他 講 談 社殿
乃木室用飾戸棚 一 池田きみ子殿
他 九十四點
興 亞 室
指揮刀、乘馬鞭(遺品) 長堀 金彌殿
指揮刀、軍帽 (〃) 土師鐵太郎殿
日 の 丸 (〃) 田中三之助殿
アルバム他三點(〃) 高龜壽三郎殿
建築學ノート (〃) 稻葉 佳一殿
明朝の瓦 堂山 龜松殿
忠靈塔模型 葛野 常久殿
小銃彈(二百三高地)他 米山 孝一殿
掛軸「明治天皇御製」 秋山 公道殿
掛軸「宣戰の大詔」 山崎 唯男殿
鐵かぶと(支那軍使用)他 手塚强之介殿
石貨 他 仁木 克巳殿
鍍金佛像 大熊 次郎殿
通信用パラシユート 加 賀 田殿
台灣人使用竹筒 田中 鎌吉殿
寫眞「大本營御親臨」 柴崎 宜次殿
中國軍委任狀他 倉田喜一郎殿
うちは「昭南嶋」 大高 益一殿
糸織額面(西湖秋月) 市原 義久殿
タイ貨幣 牛島 辰熊殿
支那扇子 野田清太郎殿
歩兵三十五聯隊寫眞帖 木下 綾子殿
支那貨幣(大清) 濱口 修二殿
繪はがき一組 柳 幸輔殿
仝 猿山 昌平殿
バリ踊り人形 村田 實殿
他 百四點
其 の 他
大 太 鼓 一 修了生一同
應接室セツト一組 池田きみ子殿
金貳拾圓也(少年團へ) 木下 勝弘殿
(『中之町学報』昭一七)
【付記】昭和十七年八月二十日、中之町国民学校は、東京府知事より校名変更の許可を受け、東京市乃木国民学校と改称した。九月十三日は乃木大将夫妻の三十年の回忌また乃木神社鎮座満二十年の記念すべき日に当たるとして、改称披露式をその日に行った。
この期に際し、校内に乃木室を設け将軍に関する資料を収集陳列することとした。