學務取扱
東 京 府
文部省御中
當府下平民山林八太郎私立小學設立之儀別紙之通願出於當府差支無之候間御許容有之度候也
〔別紙〕
私立小學設立願
一 學校位置 第一大學區第三中學區第百番小學區東京府管下第三大區八ノ小區赤坂氷川町十二番地氷川學校
一 學校費用 金參圓 書籍器械幷諸入費
金五圓 筆墨級薪炭油入費
金拾圓 諸入費
右費用總計一ヶ月金拾八圓
一 授業料 貮拾五錢
貮拾錢
拾貮錢五厘
身許依貧富右受業料之内可相納事
但極貧之者ハ此限ニアラス
一 教員履歷
東京府管下平民 山 林 八太郎
戌三十八歳四ヶ月
弘化二巳年三月ヨリ安政三卯年マテ十一年間和歌山藩士森川章齊江從學支那學修業仕候 弘化二巳年三月ヨリ九年間小島暘廊江從學筆道算術修業仕候明治六年八月ヨリ東京府講習所ニ於テ小學教則講習仕候同十二月卒業嘉永六年ヨリ明治七年マデ二十二年間生徒教授罷在候
平民 西村喜三郎長男 西 村 銀 吉
戌十七歳
文久三亥年ヨリ明治七年マテ十二年間山林八太郎江從學支那學筆道筆術修業仕候明治六年十一月ヨリ右同人江從學小學教則修業罷在候
山林八太郎妻 山 林 み ね
戌三十二歳一ヶ月
嘉永六年丑年ヨリ安政六未年マテ七年間徳川家士小林徳之進江從學支那學筆道算術修業仕候 明治六年十一月ヨリ山林八太郎江從學小學教則修業罷在候
學 科 讀書 習字 算術
一 教 則
下等生徒教科
一 綴字 單語ヲ高稱シ生徒ヲシテ書取ラシム
二 習字 十歳以下小學生徒ヲシテ假名ニテ書取ラシム
三 單語 翌日之ヲ問答シ且暗記セシム
四 會話 讀
五 讀本 解意
六 修身 解意
七 書籍 解意幷盤上習字
八 文法 解意幷盤上習字
九 算術 九々數位加減乘除但シ洋法ヲ用
十 養生法
十一 地學大意
十二 窮理學大意
上等生徒教科
一 史學大意
二 幾何學
三 罫書大意
四 博物學
五 化 學
六 生理學
授業時間總テ小學教則ニ從ヒ相定候事
校 則
一 入學相願候者ハ其身許取糺シ入學爲致候事
一 學童昇降スル總テ行儀ヲ亂サス互ニ禮儀ヲ相守ル可キ事
一 正課中猥ニ門外ヲ許サス事故アラハ其旨校長ニ相斷ル可キ事
一 正課中猥ニ坐席ヲ立テ他ノ勉强ヲ妨ク可カラザル事
一 人ノ不在ヲ犯シ書籍筆墨等濫用スヘカラサル事
每月一六ヲ以テ休課相定候事
右之通開業仕度此段奉願候也
明治七年八月
第三大區八ノ小區赤坂氷川町十二番地
山 林 八太郎 印
右區戸長 内 海 利 作 印
學區取締 青 木 將 之 印
東京府知事 大久保 一翁殿
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當府下平民山林八太郎私立小學設立之儀別紙之通願出於當府差支之候間御許容有之度候也
明治七年八月二十八日
東 京 府 印
文部省御中
〔朱書〕申出之通
明治七年九月四日
文部少輔 田中 不二麻呂之 印
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知事 參事 奏任出仕 學務取扱
第三大區八小區平民山林八太郎私立小學設立之義御許容相成度候第三中學區校數ニ御差加有之度旨願出候付左之通御指令相成度此段相伺候也
願之通
但第三中學區第七番小學氷川學校ト可相稱事
小學校數御差加願
今般私立小學設立之儀御許容相成候ニ付第三中學區小學校數ニ御差加被成下度依之此段奉願上候以上
第三大區八ノ小區赤坂氷川町十二番地
明治七甲戌年九月
平民 山 林 八太郎 印
右區戸長 内 海 利 作 印
東京府知事 大久保 一翁殿
第三中學區第七番小學氷川學校ト可相稱旨奉畏候以上
第三大區八ノ小區赤坂氷川町十二番地
明治七年九月十四日
山 林 八太郎 印
東京府學務課
(『東京教育史資料大系』第二巻)
【付記】東京府は、公立小学校の増設と並行して、その不足を補うために、旧寺子屋や私塾・家塾を私立小学校として認可した。
港区地域では、このために私塾、家塾の大部分が私立小学校となった。学制以降明治十二年までに公立小学校は十三校設立されたが、この時期に私立小学校は九十数校が開設されていた。
なお、東京府は一年毎に開学願書を出させ、私立学校の規模、内容を把握する管理体制をとった。