學 務 課
麻布區麻布小學女生徒着坐教授之儀別紙之通學務委員等ヨリ伺此有候其主旨修身攝生之二點ニ此レ有候處素椅子ニ倚ラシムルハ授業上ノ便宜ヲ要シタルモノニシテ爲之修身ニ關係ヲ有スヘキ理由ハ必ス召有之間數尤攝生上ニ付日本製服ニ而ハ女子ニ嚴冬之幾分之妨害□有之歟實際者防除行屆兼候條右ハ着坐スル方利益ト被存候何樣申出之段格別不都合モ無之儀ニ付此等ハ適宜ニ被付可然御指令按共御伺候也
按
書面之趣聞置之事
年 月 日
知 事
小學女生徒着座之儀伺
當區公立麻布小學高等科生徒之儀中ニハ成童ノ年齡ヲ越ユル者アリ故ニ本年五月府下小學教則改正ノ際男女ノ教場ヲ分チ授業致居候處今又右女生徒ノ攝生ト修身トニ益アルガ爲メ椅子ヲ廢シ之レニ換フルニ着坐ヲ以テセシ事ヲ別紙之通論述スル者アリ其主旨着實ト思考仕候就テハ該校之儀曩ニ經伺之上目下校舍改造中ニ付此際ニ於テ右女生徒ハ更ニ着坐ノ制ニ改良致シ可然哉至急何分ノ御指揮相成度此段相伺候也
東京府麻布區
學務委員 藤 井 八十吉 印
仝 笠 井 庄兵衞 印
仝 多羅尾 光 應 印
仝 竹 中 萬壽藏 印
東京府麻布區長 前 田 利 充 印
東京府知事 芳川 顯正殿
古語ニ曰ク知テ言ハサレハ不忠言テ當ラザルハ罪ト不才某等ノ言何ソ能ク〓ク當ルヲ得ン然ト雖愚者モ必シモ千慮ニ一得ナシトセス黙々知テ言ハサルノ不忠ナランヨリ寧ロ言テ不當ノ罪ヲ受ケンニ如カス因テ今小學高等科女生徒着坐ノ利害ヲ論シテ以テ採用實施アル事ヲ冀フ幸ニ葑菲ラ取リ下體ヲ以テスル事勿レ今遽カニ高等科女生徒ニ限リ攝生ト修身ノ爲メ椅子ヲ廢シテ着坐セシメント云バ顧フニ左ノ疑ヲ招カンカ曰ク攝生ノ爲カ特リ女子ニ限ルハ如何男子ニ於ケルモ均ク緊要ノモノニ非スヤ修身ノ爲カ高等女子ニ限ルハ如何中等女子ハ修身ヲ要セサルカ請フ左ニ之ヲ言ハン
向キニ校舍ノ築造ニ方テヤ事新創ニ出テ固ヨリ完全ヲ期スベカラス槪ネ半ハ歐風ニ擬シ半ハ舊制ヲ存セサルハナシ故ニ固リ玻璃障子ヲ鎖メ通氣〓ヲ設ケサルアリ股引ヲ着セスシテ板臺ニ踞スルアリ盛夏ニ日光ノ射照ニ任セ嚴冬寒威ヲ禦クヲ要トセス蓋是ヨリ生スル害一ニシテ止ラスト雖未タ女子ニ於ルヨリ甚キハアラサルナリ是男子ハ支體强健其服モ亦タ適宜ニ應用スヘシト雖女子ニ至テハ其情狀ノ大ニ然ラサルモノアレバナリ若シ夫レ三冬嚴寒ノ日ニ當テ彼ノ締結ナキ衣ヲ着テ冷却セル板臺ニ踞シ〓々トシテ業ニ居ルカ如キハ接直ニ之ガ害ヲ顯サヽルモ必スヤ他年變質〆腰部危篤ノ病因ヲ釀成スルハ良醫ノ照々トシテ指定スル所ナリ鳴乎成年ノ後身ニ胎孕ノ重任アル女子ヲシテコノ不幸ニ掛ラシムルモノハ其責必ス學校ニ歸セン子弟ヲ教育スル學校ニシテ今ヤ却テ人ヲ傷フ是豈注意スヘキ事ナラスヤ願クハ適當ノ改良ヲ加ヘテ人ノ子ラ傷フノ譏ラ免レシメン事ヲ然ト雖凡ソ事急ナルモノヲ先ニシ漸ヲ以テ緒ニ就クハ改良ノ冝キヨリ今ヤ幸ニ髙等學校ノ新築ニ臨シ男女教場ヲ區別セントス請先ツ女子教場ニ限リ椅子ヲ廢シテ着坐セシメン
脩身ノ女子ニ要ナルハ男子ヨリ甚シ彼ノ男女混合ハ男ノ豪氣ヲ以テ女ノ柔弱ヲ補益スル事ト說クモノアレトモ是未タ豪氣ヲ學テ活潑トナルノ利ハ粗暴ニ流テ女徳ヲ賊フノ害ニ若カサルヲ悟ラサルノ說ナリ彼ノ才藝ノ琢磨ヲ學校ノコトヽナシ修身ハ特ニ宗教ノコトナリト說クモノアレトモ是亦我國情ヲ察セサルノ說ナリ我國學校ヲ措テ人ヲ教化スルモノ果シテ何物カアル苟モ之ヲ知ラハ今日ノ教科ニ修身ヲ重ンスルハ論ヲ俟サルナリ況ヤ普通女子ノ教育ノ如キハ寧ロ才藝ノ琢磨ヲ第二ニ置クモ修身ヲ第一ニ置カサルヲ得サルナリ世間生來父母ノ膝下ニ育セラレ曾テ小學ノ教育ヲ踏マサル女子ニシテ言語動作ノ靜雅ナルモノ匱カラサルニ學校ニ出入シテ讀書算筆ノ人ニ讓サルモ輕躁浮薄一見シテ厭惡ノ思ヲナサシムルモノ多キハ何ソヤ父老槪子之ヲ尤テ男女生徒ノ混合ト丁壯男子ノ女兒ヲ教ルトニ歸セリ蓋シ然ラン然バ則チ女子ハ啻ニ男子ト區別スルノミナラズ時機ヲ俟テ〓リ女教師ニ託セサル可ラサルナリ其修身ヲ第一ニ置ト云ハ意フニ今ノ普通女子ニシテ如何ニ篆書ニ巧ナルモ縫箔ニ長スルモ世間一般ノ事務ニ迂ナレハ所謂尺モ短キ所アリテ却テ無用ノ譏ヲ免レス況ヤ輕躁浮薄一見シ厭惡ノ思アラシムルニ於テオヤ然ハ則普通女子ヲ教育スルハ修身ヲ主眼トナシ兼テ日用適切ノ事務ヲ習熟セシメハ足ラン髙尚ノ學術ハ要トスル所ニ非サルナリ果テ然ハ請フ先ツ男女教場ヲ區別シ女子ニハ諸禮式ヲ適用シテ起居動作ヲ靜雅ナラシメサル可ラス苟モ然センニハ冝ク椅子ヲ廢メ着坐セシムヘキナリ然ト雖目下小學ヲ擧テ〓ク改良セントスルモ事亦タ行ハレ易カラス故ニ姑ク髙等ヨリ試ントス之ヲ實施シテ便益ヲ得ハ今日小學髙等科ノ改良ハ他日女子全部ノ改良ヲ促スヤ論ヲ俟サルナリ方今麻布校造築ノ事アルニ際シ聊カ平生見ル所ヲ白ス
(都公文書舘資料)
【付記】麻布小学校の高等科においては、教場を男女別にしているが、特に女生徒について修身と摂生の二点より椅子によらず着座して教授することが望ましいと考え着座による制度に改めたいという伺書である。当時校舎は欧風をもとにしているが旧制のままのことが多いので、特に女子生徒の心身を考慮して申しでたものである。