本村小学校蚕飼育・観察の記録

   五月二十八日
 温度 二十度
 體長 二・三糎
このごろは下に敷いてあるのがもみからわらにかはつた。
くはもだいぶ大きいのをやるやうになつた。
胸がとてもふくらんできた。
三回目の眠をへて今皮をぬいでゐます。
皮がぬげなくて尾の方が皮をかぶつてゐるのもあります。
皮は伸縮自由でまことにやはらかい。
皮をぬぐことを衣がへともいふそうです。〔略〕
胸あし六本を上に上げてじいつとして桑の葉の上にくつついてゐます。
皮をぬいでしまつた蠶はあたりを見まはして桑の葉をさがしてゐました。
ふと桑をみつけたのでせう。眠つてゐる蠶の上をはつてゐつて、桑をたべ出しました。まあるくまあるくふといせんだけのこして、きれいにたべて行く。たべるたびに葉がゆれて、腹足でつかまつてゐる若えだが、ゆれてゐます。けんがまだやわらかくて、さきが枯葉のやうな色です。あるくたびにあたらしいかわのしわがのびてゐます。
胸に、はんてんがよく目立つて目のやうです。じいつとしてゐると、胸のしわがよけいに目立つてゐます。腹の先のみやくが、きえたりついたりするのは、ねおんさいんのやうです。
あしにこまかい毛がすこし生えてゐます。あつちにも、こつちにも、かはいらしい蠶が、たはむれあそんでゐるやうです。あちらでは二三匹、こちらでは五六匹かたまつて、むがむ中で桑の葉をたべてゐます。この蠶たちは、なんと仕合せなほんとうに、かう福な蠶でせう。
 
五月三十一日 雨 小海千枝子
温度   十七度
體長   約三糎
體色   頭はこげ茶色で、胸は黄色ですき通つてゐる。
感想
病気の蠶があるのにはかはいそうで、なりません。黒くどろ/\にとけて、桑の葉にひつつく樣子を見ると、何かこの蠶にのますくすりはないものかと、考へて見ました。病院があつたら、つれて行つてぜひ、おいしやさまに、なほしていたゞくのにと思ひました。蠶の病氣には、から/\にかたまるのもあります。
頭の上が黒みがかつてきたのも、あります。
坪數は四十七坪です。
だん/\大きくなるにしたがつて、坪をまして行きます。二坪が四十七坪になりました。一坪と言つても家屋の坪とはちがつて小さい面積です。上るまぎはに二百坪位にふえるそうです。
今日は雨が降つていて、温度が低いので小使室では戸をしめきつて、火鉢を入れて、かはいらしい蠶を暖かい室に入れてあります。
桑の葉はもうそのまゝで上げるやうになりました。食べ方は丸るく、雨のやうにし、さがす時は、頭から、胸にかけて左右にふります。
一匹々々をよく見ると、胸は頭の、六倍か七倍あります。
息の穴は、黒つぽくて、目立つてゐます。
ふしのすじは白色です。
ふしの所はへつこんでゐます。
息をするたびに、せ中の所が水色つぽくなります。
足のうらがはは、だいたい黄色ぽくて先は白つぽいのです。
胸には、こまかいしわがあるのもありました。
足にはけが、體の毛よりも目立つて見えます。
雨が降つてゐても、蠶たちは、たのしさうに、桑を食べているのは、實にかはいらしいです。
 
  六月十九日 雨 四十日目
 今日、第一時間目に繭かきの式が行はれた。
 山と積まれた、眞白な繭を見た時、ただうれしかつた。そして、あの私達が、かはいがって來た蠶が、こんなりつぱな繭をつくつたのだと思ふと、何だか、涙がたまつて來た。式は、君が代に、始まつて、
一、校長先生の御話
二、養蠶經過報告 五男一 徳野良二
         五男二 堀木俊夫
三、献饌の繭搔き
四、作業
五、感想發表 五女一 宮本生子
       五女二 藤村春江
六、校長先生の御挨拶
のじゆんじよに進められた。
御冩眞もとつた。神様におさゝげする繭を、とる事も、御話をする事も、感想をのべた事も皆、立派に出來た。誠からしたからだ、と先生がおほめになつた。
 
繭を献上した後にいただいた受納證
    受納證
一 繭    一籠
右御奉納相成正ニ大前ニ奉供致
候此段申進候也
 昭和十一年六月二十日
      明治神宮社務所印
本村小學校御中

 
一 羽二重  一疋

皇太后陛下ヘ獻上被致候ニ付
御前ヘ差上候
此段
申進候
昭和十一年十二月二十二日
   宮内大臣松平恒雄
東京市本村尋常小學校長
 對封馬敬吾郎殿

(本村小学校資料 昭一一)


 
【付記】昭和十年代の学習活動は、自然の観察や文集づくりなどを多く取り入れるようになった。本村小学校では、近接の有栖川公園の桑の葉をいただいて蚕を飼育していた。