高輪台小学校の保健活動

   保健教育の歩み
 本校の保健教育をかえりみると、遠く終戦後の十七年前に始まっている。すなわち、当時の日本人が精神的にも不健全、不健康におちいり、経済的の混乱も加わり、社会的な倫理の乱れは著しいものがあった。
 この時、本校は日本民族の理想とする文化国家、平和国家を建設する教育的基礎を、どこに求め、どこから手をつけていくかを真剣に協議した。
 まず、「児童個々の生活を整頓し、清潔な環境の中に生活する習慣、態度の育成が緊急で根本的である」との結論を得た。そこで、教育の出発点を清潔教育におき、第一歩をふみだした。もちろん、将来理論的にも、実践的にも保健教育の成果を追求して、健康安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を意図していたことはいうまでもない。つぎに、本校が過去十七年間、保健教育について不断の努力をもって、継続し、研究してきた経過をたどってみよう。
 
(一) 昭和二十一年度~昭和二十三年度
 本校の保健教育の出発は、先にも述べたように児童の実情や地域の実態から、清潔教育が取り上げられた。すなわち身体・衣服・食物・住居等の生活環境を常に清潔に保ち、正しく整頓されて、心地よい、うるおいのある生活のできるように努力した。このため清潔に関する習慣態度、知識技能も習得させ、健康生活実践をめざして清潔教育のカリキュラムを作成した。この時の成果は、昭和二十二年六月、第一回研究発表会をおこない、多大の反響を与えることができた。
 
(二) 昭和二十四年度
 昭和二十四年度は清潔教育から一歩進めて、保健教育全般のカリキュラム作成に努力した。特に保健学習のための時間を特設して、指導技術の研究に力を注いだ。
 児童の日常生活を明るく、健康的に実践させ、これを性格にまで発展せしめ、漸次家庭、社会にしみこませることを目標に、研究を継続して保健教育の展開に努めた。なお、その結果は昭和二十四年二月、健康教育(文部省のカリキュラムによって)第二回研究発表をおこない、各方面から指導を受けた。
 
(三) 昭和二十五年度
 第五年度には保健教育の計画を反省しつつ、児童の現実を正しく把握して進めることに努力した。本校が特に努力した点は児童生活の実態調査により
 a 学校身体検査の忠実な実施と検討。
 b 知識と習慣の状態の調査および評価。
 c 知能検査(健康状態と知能とを総合的に判断するため)
 これらの結果は、わが校の保健教育を一冊の本にまとめて、昭和二十五年六月第三回研究発表会を開き、各方面の批判を願った。
 
(四) 昭和二十六・二十七年度
 第六・七年度には、学校保健委員会の運営に重点をおいた。学校保健計画と健康管理が、児童の生活に即してどのように計画され、実践したらよいかを研究した。この計画・管理・指導・実践の統一、調整の機能として、学校保健委員会の運営に努力した。学校保健委員会は児童のすべてに、現在・将来にわたって、健康的な正しい生活を営ませる根本的な機関とするために、昭和二十六年度には、大体次の問題について結論を得た。
 a 学校保健委員会の性格と組織。
 b 学校保健委員会の任務。
 c 学校保健委員会運営の方法。
 これらについて、その実際を昭和二十六年十一月、第四回健康教育研究発表会をおこない、大方の指導と批判を受けた。
 
(五) 昭和二十八年度
 第八年度は、過去七年の歩みを反省し、保健教育がますます重要であることを痛感するとともに、保健教育と体育のあり方、保健保持と学校給食のあり方、保健教育と地域社会の協力等の問題について、昭和・二十八年十一月、第五回健康教育研究発表会をおこなった。
 
(六) 昭和二十九・三十・三十一・三十二・三十三年度
 第九年度より十三年度は、本校が多年にわたる保健教育に関するカリキュラムの編成、特設指導時間の設定、保健委員会の組織と活動等の研究ならびに実践の結果、これ等の徹底を期する問題点として、次の点に帰着した。
 a 児童の習慣形成の問題。
 b 精神方面の指導。
 c 各個人をより深くみつめること。
 これが解決の資料として「健康カレンダー」の研究作成となり、やがて、「健康集録」更に今日の「けんこう」へと発展した。これにより、作業を通して児童のよりよい習慣を形づくり、常に自己のからだを見つめることを、保健教育の根本として研究を進めた。
 なお、この間学校給食の充実を計画し、昭和三十一年度には、校内製パン工場を完成し、自家製パンにより給食内容の充実をはかることにした。
 (a) 健康カレンダー
 昭和三十年度「健康カレンダー」を創案実施した。これは本校の健康カリキュラムに準拠して、月一枚児童自身の健康生活を反省し、その指針となるべき事項を記入式によって、効果を期するものである。
 (b) 健康集録
 昭和三十年度に「健康カレンダー」を実施して、その効果を認めたので、更に、一層の推進をはかるため「健康集録」を制定した。これは一枚一枚の「健康カレンダー」の散いつを防ぎ、常に反省の資料とするため「健康カレンダー」に改訂を加え、ノートにはり、これに余白をつけて健康学習のノートに代用するものとした。
 (c) けんこう
 「健康集録」を実施して二年、更に反省し、検討を加え、昭和三十四・三十五・三十六・三十七年度は、ノートに貼付することをやめ、一冊の学習帳にまとめた各学年の「けんこう」を制定して保健学習の重要な資料としている。
 
(7) 昭和三十四年度
   健康優良学校となる
 昭和三十四年十月二日、午前八時より午後五時にわたり、健康優良学校としての審査を受けた。この日、本校は多年にわたり研究された保健教育の全般についての、諸活動や設備について、厳正な審査がおこなわれた。この結果は、全日本健康優良児童学校表彰会より、特選健康優良学校として表彰された。また、東京都教育委員・東京都学校保健会より、東京都健康優良学校として表彰された。
 昭和三十五年三月十日、新教育課程の実施を一年後にひかえ、改訂学習指導要領を目ざし、保健学習の取り扱いについて、第六回研究発表会をおこなった。
 
(八) 昭和三十五・三十六・三十七年度
 改訂学習指導要領の総則に、保健に関する事項の指導は各教科・道徳・特別教育活動および学校行事等の教育活動全体を通じておこなうものとする。と示されている。このことから、多年にわたって実施されてきた本校の保健学習にも、根本的な反省と検討を加えることが必要となった。
 昭和三十七年十一月十日 静岡市で開催された第十二回全国学校保健大会において本校が多年にわたる学校保健の成果が認められ、文部大臣賞を授与せられた。
 昭和三十七年十一月二十九日 全国的な規模において、学校保健教育研究発表会を開催し、新教育課程における保健教育のあり方を研究討議した。
 新職員の教育活動のうち、保健教育に関する組織をあげると次頁のようである。
 
    学級の保健活動
 従来、「けんこう」は体育の時間に主として学習されてきたのであるが、保健教育は特定の教科においてのみおこなうべきではない。四領域、すなわち、学校教育全体の中で、これを扱うことになった。そこで、本校としては改討学習指導要領の精神に基づき、学級経営の中で保健教育の徹底をはかることを目ざし、全校一体となって研究を推進した。
  各学級の、学級会活動における保健的内容は、多方面にわたっている。最近の年度における活動内容をあ
 げると、次の通りである。
中 学 生(三・四年)高 学 年(五・六年)






(係)





役割りの分担
机・腰掛けあわせ
机・腰掛けの名札つけ
保健診断の記録
清掃用具の整備
登下校の道順しらべ
給食時の手洗いしらべ
下駄箱のわりあて
役割りの分担(児童会保健部の役割りも配慮)
机・腰掛けの適正配置の計画と実施健康診断の協力
教室環境の衛生美化の計画、協力
清掃用具の整備
清潔検査の計画と実施
欠席理由の調査、整理(毎月)
「けんこう」の記録の世話
月末大掃除の計画、協力
避難訓練への協力



教室や廊下の美化
生活時間しらべ
交通安全ポスター
清潔検査の計画と実施
体重測定の世話(毎月)
遊び場の指示の世話
健康診断の記録、整備
予防接種の世話
朝の健康調べの実施(健康観察を含む)
廊下歩行についての世話
学校給食のすききらい調査の実施
保健新聞の計画と発行(毎月)
体重測定の世話



口腔衛生のポスター募集
予防接種の協力
体力測定の世話(容儀全般)
はえ、か駆除運動への協力
(赤痢、日本脳炎ポリオ予防)
(ポスター、消毒など)
体重測定の世話
口腔衛生行事への協力
検便についての世話
つゆどきの保健活動についてのしおり発行
(赤痢、日本脳炎、ポリオの予防)
はえ、か駆除運動への協力
睡眠時間調べの実施
体重測定の世話

〔略〕

(高輪台小学校『保健教育紀要』昭三七)