1 教科の研究から特活道徳へ
改訂指導要領は昭和三十六年度より実施されたのであるが、三十四年度三十五年度は移行措置期間として、主として研究授業を通しての教科の研究を進めてきた。ついで三十六年度となると、学級会と特設道徳の分野の研究が欠けているとして、この二領域の研究を授業を通して深めていつた。
2 学級経営の基礎的研究へ
三十七年四月、本校教育の重点目標として、自主性を育てることと、集団でのあり方を身につけさせることが示され、学級経営の重要さが確認された。従つて学級会と道徳時間の継続的研究が学級経営とのかかわりにおいて見直されることとなつた。そのため道徳部会学級会活動部会に全職員が所属し、研究授業を通して研究を進めることになつた。専任講師として宮田先生をお願いし、学級経営の基礎的研究を続けてきた。
3 学級経営の問題点をさぐる
三十七年十月、全国学級教育研究会との共同研究の確約ができて相携えて学級経営上の問題ととりくむことになつた。今までの研究をつづけながら広く学級経営のつまづきを検討し、実践的研究を積み重ねていつた。
十一月全国学級教育研究会とともに、学級経営を阻害する要因について研究を進め、学級経営をみる窓口としての八項目によつてそれまでの研究を一応まとめたのである。それは全国学級教育研会と共同で新光図書店より「全人形成のための学級経営」となつて出版されたのである。
4 学級の集団志気を高めるてだて
学級経営上の問題点は、おおむねあきらかにされたのであるがその中で最もとらえにくいのが学級の集団志気であつた。この集団志気とは何か。これを高めるてだてはどうでなければならないか、これは先に述べた学級経営をみる窓口の一つとして未開拓の分野であるだけに極めてむつかしい課題ではあるが、三十八年一月以降これにとりくむことにした。教科・道徳・学級会活動の研究授業を通して、集団志気にかかわる問題を研究してきたわけである。分科会も低中高と改組し、三月以降は集団志気をみる場面を設定することもあり、各分科会ごとに研究を深めてきた。そして、○低学年=友だち意識の広がり
○中学年=グループ間のコミニケーションとグループの志気について
○高学年=学級の集団志気、の研究課題を定め、その実践研究の結果を発表するに至つたのである。
二 学校学級経営
われわれの実践にもあらわれているように学級そのものは担任教師が中心でありながら担任だけでは解決できないいろいろの問題が内在されているものである。例えば、授業交換における他教師の影響、音楽・図工の専科との問題、また、家庭地域の問題に対する教師間の態度、躾けその他の全体的問題における各教師の考え方と指導のちがいなどは、失敗の要因として相当な意味をもつているのである。学級経営の諸問題は、すべて学級内で解決されるものではない。また、その諸問題は学級内のみで起こるものでもない。すくなくとも大正デモクラシーにあらわれた閉鎖的学級王国をはなれて、学級担任を中心としながら、学年の教師、専科の教師、ひいては、学校全体の教師の共同経営でなくてはならないといえる。
三 学級経営の条件整備の視点
物的条件と人的条件を整備するための視点としてつぎの三点が考えられるであろう。
○むらなく(調和) ○むだなく(科学的合理的) ○むりなく(適合)
むらなくは、全体的な調和をはかることであり、むだなくは常に科学的合理的に処理していくことであり、むりなくは発達段階に即して適切な指導をしていくことであろう。宮田先生はこれを「視点の三M」といわれている。しかし、この原則の運営にあたつて考えておくことは、便宜主義に利用すべきでないということであろう。大人としての感覚からみると何とまだるつこいプロセスを辿つているのかと考え結論を与えやすいものであり、そのプロセスが「むだなこと」と思われるかも知れない。しかし、プロセスが児童にとつて意味のある場合も多いのである。
四 学級経営案の必要
対外的(家庭やその他へ公開する場合は別として)な立場は別として、現実における担任としての必要性から考えてみることにしたい。まず、いえることは学級教育の効果を上げるには学級経営をどのようにしたらよいかということであろう。それは、調和のある能率化をはかるということであると思う。学級経営案をつくることによつて学級経営の方向づけができ、進んでは学校経営の方向づけにもなる。ことばをかえていえば学級経営案は理想的見取り図であり、予想をつけた見取り図ともいえる。このようにみてくると担任として、学級経営案をつくることはどうしてもかゝすことのできぬ仕事であるといえるのであろう。そして、つぎにいえることは、学級経営案の継続性である。われわれ現場の実践者は、常に実践を通して反省を加えていかなくてはならない。経営案は、単なる方向づけにとどまらず、実践記録としての意味をもたせることが大切である。原因として考えたことが実践の過程において他の問題との関連において起つている場合を発見することもある。また、つぎへの学年へ申し送られ、前年度の実践の裏付けのもとに、積み重ねられた計画と指導が加えられることは「むだをはぶき合理的な運営」をはかる点からいつても、重要なことがらであろう、勿論、担任が変わつた場合も同様のことがいえる。以上のような考察のもとに本校としては、つぎのような学級経営案の要項を定めている。しかし、これは、単なる形式にとらわれることなく、それぞれの学級の問題の所在により、学級独自の実践記録を重要視したものであつてよいのである、
イ、学級の実態(多方面にわたり)
ロ、学級の教育目標と学級経営の方針
ハ、学級経営と学年経営および学校経営との関連
ニ、教科およびその他の領域の重点
ホ、教室経営の計画と実践
へ、集団経営の計画と実践
a、仲間関係の問題点
b、問題児の問題点
c、学級の雰囲気や集団志気の問題点
ト、家庭地域に対する計画と実践
これらについて若干説明を加えるならば、(ハ)は教師集団の共同経営を学校学級経営という角度からながめたもので、閉鎖的学級王国を離れた、学校学年学級が有機的な結びつきをもつていくうえでの具体的計画がしめされるわけである。(ヘ)の集団経営のなかみについては、異議があることと考えられるが、広い意味で雰囲気や集団志気の問題も含めてみた。そして、その実践にあたつては、これらの(特にホ、ヘ、ト)問題点がそれぞれからみあつた姿において指導され、児童の人間形成がはかられ、成長発達がなされていくといえるであろう。また、これらの問題点とともに教師のパーソナリティも重要な要因となつてくる。
五 学級経営の実際
前述のような考え方をもとにしてそれぞれの項目について失敗の原因の一例をしめすとつぎのようになる。
学級経営失敗の原因 |
項 目 | 低 学 年 | 中 学 年 | 高 学 年 | |
1 | 子どもの仲間関係 | ○ つげ口 ○ 仲間はずれ | ○ グループとしての意識がない ○ よいリーダーがいない ○ 自己中心的 ○ 男女の対立 | ○ リーダーの指導力がない。 ○ 組織的な活動がない。 ○ リーダーとメンバーの問題 |
2 | 学級の雰囲気 | ○ まとまりのない学級 | ○ ひつそりした学級 ○ 粗野な学級 ○ おちつきのない学級 | ○ さわがしい学級 ○ しずんだ学級 ○ とげとげしている学級 |
3 | 学級の集団志気 | ○ 困まつていても知らん顔をしている学級 ○ 仕事にとりかかるのがおそい学級 | ○ 無気力な学級 ○ 実行力のない学級 | ○ 前進的なところがない学級 ○ おとなしく発表力が低い学級 ○ 排他的な学級 |
4 | 問 題 児 | ○ 衝動的な子 ○ ひねくれている子 ○ 腕力のつよい子 ○ 口数の多い子 | ○ 不平不満の多い子 ○ 自己主張のはげしい子、 ○ ボス | ○ おちつきのない子 ○ 学力の特に劣る子 ○ 仲間入りしない優秀児 ○ ませた子(性的早熟児) |
5 | 物的環境の整備 | ○ くらい環境 | ○ こどもの参加が不充分 ○ 掲示物の問題 | ○ 有機的なつながりをもつた掲示 ○ 子どもの作る環境 ○ 視聴覚教具の整備 |
6 | 教師のパーソナリテイ | ○ 教師中心になりがち ○ 厳格すぎる教師 | ○ しつけが厳しい ○ 情熱的な教師 | ○ こどもへの要求が大きい ○ 自信のない教師 |
7 | 教師集団の共同経営 | ○ 専科教師 ○ 個々を生かしなが共通目的にすすめる教師集団 | ○ 専科との結びつき ○ 仕事分担の適性化 | ○ 教科の交換 ○ 専科との結びつき |
8 | 家庭、地域の問題 | ○ 親のエゴイズム | ○ まかせきりの父母 ○ 家庭内における対立 | ○ 家庭での生活指導が不徹底でおこる問題 ○ 父母の考え方のちがい ○ 学習塾、ソロバン塾etcの問題 |
(芝小学校資料 昭38)
【付記】芝小学校では、昭和37年・38年の2年間にわたって、学級経営の基礎的研究が行われ、学級経営のつまずきを検討して実践研究が積み重ねられた。この研究の中で「学級経営失敗の原因」の一例が示されている。毎日児童と教師との学級で繰り広げられる学習活動は失敗の原因をひとつひとつ解決していくことである。