東町小学校幼小一貫四四教育

   幼小一貫四四教育のめざす子ども像
   みずみずしい子ども・たくましい子ども
 四四教育のめざす子ども像は児童部(三~六年)にあっては発動性と自制力のある「いきいきしたたくましい子ども」であり、幼年部(幼・一二年)においては「いきいきしたみずみずしい子ども」である。
 「いきいきしたたくましい子ども像」については単に体力があるとか気力にすぐれているというだけでなく、教師の指導性のもとに、はげましあいたしかめあう中で、自分たちの力として育った学力と規律のうらづけをもち、どのような事態に対してもじゅうぶんな力を発揮しうる子どもを描くものである。その手だてとして「学習のめあて」の主体化と「児童のきまり」の内面化を図ることを考える。
 そして「いきいきしたみずみずしい子ども像」については何にでも感じやすく、なんでもためそうとしそしてなんでも吸いとっていく。しかもそれらを年齢相応の子どもながらの未分化な考え方で結びつける子どもを描くものである。その特徴的な手だてとして、幼稚園の「あそび」の発展として一二年に「しごと」の時間を設け、この「しごと」により幼稚園の「あそび」を見直している。
 
   「しごと」がめざすもの
 私たちは一・二年生の子どもを追求していく中から「しごと」の時間というものがほしくなって特設した。
(1)「しごと」はやりたいことをやる時間である。
(2)「しごと」はしなければならない気持ちに育てる時間である。
(3)「しごと」は感覚の働きを高める経験を豊かにする時間である。
(4)「しごと」は子どもひとりひとりを結びつける時間である。
 
   本校の「学習のめあて」
 私たちは東町小の子どもを「いきいきしたたくましい子ども」に育てようと念願している。それは学力が高まり、規律が深まる子どもにすることによって達するものと考える。
 そこで、学力が高まる子どもは教師が学習を強いるのでなく、子ども自ら学習するという自主性をもち、したくてする発動性としなければならないと考えてする自制力のある子どもであるとし、こうした子どもが育つように、「学習のめあて」を作り、それを子どもに提示することを考えた。それは「子どもは勉強ずきであり、励ましあって高まっていこうとするものである。」とする私たちの考えから生まれたもので「学習のめあて」の主体化をすすめることによって、追究してやまない子どもが育つと考えるからである。
①「学習のめあて」は各学年・各教師ごとに教科主任が中心になって全職員で作製する。従って、全教科では見上げるほど高い段階となる。この段階を子どもは、励ましあい、たしかめあって登っていくのである。
②「学習のめあて」は教科の特性にもとづいて、単元別あるいは領域別に示してある。そして、これは本校教科課程の子ども版になっている。
③「学習のめあて」は具体的に学習活動を示すもの、理解内容や技能段階を示すものなどがあり、それらを子どもは、予習、授業、復習の中で達成していく。国社算理の授業はいくつかのめあてを構造化して行ない、逐条指導をしないことを標準とし、音図家体はめあてに即して行ない授業の中で点検することを標準とする。
④「学習のめあて」は児童部の三年~六年の子どもは常時携行して活用することとし、一二年の子どもは授業の中でそのつど示され、それにたち向かう形をとっている。
⑤「学習のめあて」の評価は自己評価、相互評価、教師評価とし、三段階法をとっている。○印のあるめあては必ず教師評価をうけることとする。
 じゅうぶん達したもの  九〇点~一〇〇点……◎
 一応達したもの     七〇点~ 八九点……○
 まだ達しないもの    六九点以下 …………△
⑥こうして、どの子どもも「学習のめあて」がすべて○か◎になるような授業を創造していくことが教師のひとつの課題であると考える。
 この課題は◎の子どもが△の友だちに、○や◎になるようひきあげる努力を惜しみなくすることによって、自分の◎がさらに輝かしい◎となることに喜びを感じるような共存の感情の上にたった学級活動で、はじめて実現されるものであろう。
 
   無学年制の自習
 児童部の三年~六年の子どもは登校すると、教室にかばんをおいて、すぐ、自分の計画で「学習のめあて」から写しとった「自習カード」を手に当番の待っているそれぞれの教科の室にいそぐ。当番は整備した用具や資料について相談にのっている。室の主任は職員朝会を終えて、室に出むき指導にあたっている。こうして、毎日第一校時に特設した無学年制の自習が始まる。
 
   自習の時間の設定にあたって
①さきにも述べた通り、私たちは子どもは勉強ずきで励ましあって高まっていこうとするものであると強く考えている。だから子どもを勉強ぎらいにさせたり、励ましあえない要因をとり除き、学校の中に子どもの時間をつくってあげたら、きっと勉強するにちがいないと考えた。
②もうひとつは小規模校、少人数学級の弱さをカバーし、むしろ、小規模校でなければできない経営をすることを考えた。そこで学級として一対二五の中で磨かれるのでなく、全校の中で一対二〇〇の中で、しかも児童部の教師全員(八名)に接触できるよう、無学年制にする。
 小規模校であるから「学習のめあて」を作成する教科主任も、特活の時間を中心に「学習のめあて」にもとづいて、室を整備したり資料を準備したり、必要に応じてめあての事前指導をする指導者も、特設自習時間の室主任も、みな同一教師である。しかも流動人口は八室に二〇〇人であるから特活部員の当番の協力で運営がじゅうぶんできる。
③さらに、人間は起床してしばらくの間は、頭のはたらきがにぶいといわれている。はたらきがにぶいときは受身になりがちである。そこで、早く能動的な子どもにするには、自分で計画したことを学習する自習がよいと考え、第一校時をあてる。
④なお、子ども自身の計画ですすめる自習にしたとき、人数が特定の室にかたよらない配慮として授業との関連を重んじるようにしその月の「学習のめあて」をこえないことや評価で△が残らないようにすることにする。
 
   めあてにとりくむ実践
(1) 学級ぐるみのとりくみ(昭和四二・二年)
   〈読む名人をめざして〉
 九月後半に国語は「かぐやひめ」にはいる。「かぐやひめ」の話はだれもが知っていそうでいて、大部分の子どもが知らなかった。そこで、私は祖先が暖め伝えてきたこの物語りが、すこしでも子どもの胸に根をおろすようにと、お話する調子でゆっくり読んでやった。子どもは思ったよりよく聞き入った。ページを繰る音で子どもの目が文を追っていることがわかる。終っても「ふあー」という吐息がもれただけで、あとは黙ってページをもう一度繰ったり、絵に見入ったりしている。一回めの朗読で子どもはひきこまれたようである。「こんどはぼくたちに読ませてよ。」とめいめいが読みはじめる。
(2) はじめのころ
 しかし、この時の子どもの読む力は低く、一学期の評価では次のように△の子が三割近くもいた。
二 年 国 語 の め あ て一月期の評価
3 ひらがなの文字や語句が、ひとめで読める。◎………三人
○………一人
△………六人
4 やさしいよみ物の内容を読みとり、感じ方が豊かである◎………〇人
○……一四人
△………八人

 読む力を伸ばしたい。ひとめ読みの△は二年の終りまでは完全になくしたい。これが担任の願いであり、めあてであった。
 興味にひかれて読みだしたものの、やはり子どもたちの読みはうまくいかなかった。二ページばかりのうちに一〇か所以上もつかえたり読みちがえたりする。語句をひとめで読める子でも勝手なところで息つぎをするので聞きにくい。
 こんな状態でありながら、子どもたちは飽きもせず朗読したかった。それは ・二〇ページにわたる長文であるが見開らきに段落が区切られ、ページを開らくたびに場面が展開してさし絵でも楽しめる。・子どもには耳なれない、それでいて新鮮な響きを感じさせる語句がたくさんあることなどが要因と思われた。
(3) 全校あげてのめあての生活化
 『東町小の子どもはきびきびしている。なわとびをしている子どもに校長先生が声をかける。「君何級?」「はい4年Bです。」「Mさんあなたは何級ですか。」「はい、特級です。」ちょっと、とんでみせてください。」まことに飛燕のあざやかさである。この学校では、一年級から、特級まである。
間もなく、なわとび大会があるということである。休み時間、校庭いっぱいのなわとびの群像をみながら、ここに秘密があると思う。………。』これは都指導部藤田先生の本校紹介の一節である。
 本校では体育の生活化を図るのに、主となる運動について、シーズン制をとり、これを「学習のめあて」に具体化している。それを体育学習を中心に自習の時間、休み時間さらに家庭にまではいりこむようにし、その成果を子どもの自主的な校内大会で認めあうようにしている。
 
   指導の実際(概要)
 ・とびなわを秋の運動会の参加賞にする。
 ・児童会で作成する「冬休みの手引き」の中の体育部からのおしらせで、なわとびをすすめる。
 ・三学期がはじまると体育の授業で基本的な技能を指導する。
 ・一月中旬から朝の全校集会で練習を始める。体育部の子どもから、進級表の試技や点検のしかたの説明が
 はいって、意欲が高められる。
 ・点検は相互に行なわれ、体育部員や教師の確認によって、級別の色テープをなわにつける。
 ・体育部員によって、学級ごとの進級成績が掲示され、学級全員が学年のめあてを達成したとき「なわとび
 賞」がでることになる。
  身体的欠陥がある者については本人なりの努力と学級の励ましを認めあうようにする。
 ・短なわのめあての達成が進むにつれて、長なわを導入し、高まった個に連帯感をいれる。
 ・校内大会を体育部が中心になって開催する。
 
   子どもにみられる成長
その一 校内大会の成績
 短なわの学年めあての達成は九八%で、「なわとび賞」をうけた学級は十一学級中九学級である。
 ・短なわ 連続してどれほどとべるか
  二年A級の持久跳 二年二二九回 一年一七〇回
  六年A級の持久跳 五年三分以上四年二分二〇秒
 ・長なわ 一分間で何人くぐりぬけるか
  八一人(三九年度)―→一〇四人(四二年度)
 ・長なわ 一本のなわに何人まではいったか
    一一人(四一年度)―→ 二三人(四二年度)
その二 なわの持ち手になることに誇りをもつ子
 技能が低くチームの団結が弱いときは、押しつけられた技能の低い者ばかりが持ち手になる。そのためとぶ者となわの回旋するリズムが合わないので常にトラブルが起こる。しかしチームの意識が育ってくると、技能の高い者が持ち手にまわって、技能の段階に応じた回旋をしながら声をかけてリードするようになる。また、技能が高くなり集団が強くなると、進んでなわの持ち手を希望しあうようになり、とぶ者と回すものとの呼吸が一体となりスピードがでてくる。そうなるとこのスピードは自分が持ち手になったからだと誇りをもつようになる。こんな子どもが何人もでてきた。
 これが本校でねらっている個と集団の姿であり体を通してその質にむかっている。

(東町小学校『学校要覧』昭四三)


 
【付記】東町小学校は、昭和四十年より、幼小一貫教育として、幼稚園の年少・年長と一・二年、三年より六年までの四・四とグループ化し、幼年部と児童部とした。幼稚園のあそび、一・二年のしごとの時間を特設し、児童部は、無学年制の自習の時間を設け、「みずみずしい子ども・たくましい子ども」を育てる教育目標に迫る教育実践を試みた記録の一部である。