中之町小学校の児童の作文

   きくの花
                             二 男  佐々木 敏 雄
 私のうちには、きくの花があります。このあひだ、一つさきました、そしてそのあくる日、見ますと、又一つさきました、そのとなりには、ひらきかけてゐるのもあります、まだつぼみは、たくさんあります。赤い色ののは、さきましたが、白い色ののは、まださきません、きのふとつて、ほとけさまにあげました。今日、ぼくが、學校から、かへつて見ますし、きくが、をれてゐましたから、ぼくがそれを、なほしてゐますと赤い犬が來てたおして行きましたから、ぼくが、おこつて、おひかけますと、ほえたので、石をひろつて、なげつけました。
  評 一朝ごとに美しい大きい花がふえて行くのは、どんなにおたのしみなことでせう。
 
   家 の 柿
                             四 女  土 橋 菊 子
 家のお庭のお池のそばに、二三年前にうへた、大きな柿の木があります。そして、今年はじめてなりました。去年はなりましたが、青いうちにみんな、お池の中におちてしまひました。
 今年は赤くなつたので、皆でたのしみにしてをりました。私は一番おいしさうなのを取つてたべてみましたら、しぶくて口がうごけなくなつてしまひました。ですから、お母さんに言ひますと、
 『それならきつと、しぶ柿でせう。』
と、がつかりなさいました。
 大さうぢがすんでから、お手傳ひの人に柿をもいでもらひました。
 そのあくる日、お母さんと松やと、たるに柿とおさけを入れて、ふたをして下さいました。一週間位たつてからふたをあけて見ると、あまくなつてゐたので、少しづつ近所へも上げました。私も皆と一つしよに、おいしくいただきました。
  評 買つて食べる柿よりもどんなにおいしかつた事でせう。
 
   いもほり
                             五 女  船 越 路 子
 日吉日吉と驛夫のこゑが聞えた。がやがやとしやべる聲、私はおされて息がつまりさうになつた。やつと驛の外に出た。薄寒い風が頭の上をかすめて通つた。電車の中ではかほがほてつてゐたので、寒さにそつと首をちゞめた、横を見ると見渡すばかりの田圃である。私はかういふ所が大好きだ。それから先生につれられて山のやうな坂のやうな所を登つた。お母樣の大好きな野菊が一面にみだれ咲いてゐる。このへんの子供はどうしてこんな美しい花をとらないのだらうと思つた。さう思つてゐる間にむしろのしいてある廣場に出た。『こゝにかばんやすゐとうをおきなさい。』といふ體そうの先生のおこゑが聞えた。私たちはさつそくかばんや、すゐとうををろし上着をぬいで、しやべるとふろしきとを持つてかけ出した。私たちはいも畠をとりまいてづらりと一列にならんだ。先生の號令一つでほりにかゝるのである。『よういはじめ』の先生のこゑが終るか終らない内に、私はもうほつてゐた。やはらかい土がむくむくと動くとうす紅いいもがつゞいて出て來る。『あら』『あら』とあちらからもこちらからも賞讃の聲、よろこびの叫び、驚きのこゑが聞えて來る。私も大分取つたと思ふ頃『おあつまりなさい。』のこゑがかかつた。私はまだおしい氣がしたがやむなく引き上げた。
  評 『やはらかい土、うす紅い芋、喜びの聲、驚きの叫び』芋掘りの狀景が眞に迫って居る。
 
   今日のお八つ
                             六 女  堀 口 路 子
 『お歸りなさい、路ちやん。』
お荷物を机の上にバタンと置くや否や、弟とお姉さんが私の後から聲をかける。
 『ねぇ―。』
なんか意味ありさうに、目を丸くして、そーつと、私の耳に口を持つて來る弟、
何があるのか……と、思はず改まつて顏を向けると、
 『いい事なの……』
 『なにさ……』
 『だつて早く歸つて來ないんですもの。』
弟とお姉さんは焦らすやうにして、中々云はないので、口やしくなつたけれども聞かなければ損だと思つたから
 『何々』
つて弟の手をひつぽつた。けれど
 『知らないよ』
つてすましてゐる。
 『何なのさ。ねー教へてよう。』
をくりかへしたけど、お姉さんは
 『いい物。』
といふだけで教へて下さらない。
 『いいわ、あつちで聞いて來るから。』
茶の間に行かうとしたら、お姉樣が
 『だめよ、あつちで聞いたつて。』
 『教へてあげるから。』
 『知らないわ。』
今度はさつきの敵討ちをしてやる。
お姉さんは
  『あのね、今お客樣がね、こんな大きな……。』
つて兩手をひろげて手まねをする。
 弟『さうだね……。』
 私『こんな大きな何さ。』
 姉『あててごらんなさいよ。』
 弟『路子さんのすきなものだね。』
お姉さんと弟はさもうらやましいだらうつていふ顏をする。
 『あのね水菓子のかごよ、中にたくさんバナヽが……』
 『なあんだ、バナヽなの。』
私はつまんなさうな顏をしようと思つても早くそれを見たくつていたゞきたくつい嬉しさうな顏になつてしまふ。
 『あのね、お母樣が路子さんが歸つたら、上げるつて言つて居たよ。』
つて弟が言ふ。
なんだ、早くからさう言へば良いのに、早くお母樣にさう言ひませう。でも十本位下さるかしら、など考へながらお縁側をバタバタかけつてお母樣の所へ行つたら
 『さうざうしい人ね。』
つて叱られました。けれどそんな事なんか耳にも入れないで、問題のバナヽの皮をむき始めた。
  評 あなたは不思議な冩眞機を持って、御兄弟の『複雜な心の活動』を漏れなく、冩し撮る力を持つて居
    る名技師である、とでも申しませうか。
    名文。名文。

(『中之町学報』昭四)


 
【付記】大正期以降、児童中心主義の教育思想の影響を受けた児童の作文指導が活発に行われるようになった。『中之町学報』には、それぞれの作文に指導者による評が明確に記述されている。