昭和十九年八月四日
安蘇地方事務所長 田 代 博 印
新合町(村)長殿
学童集団疎開ニ関スル件
学童疎開ニ就テハ、別途本県四部長連名通牒ノ次第モ有レ之候処、之ガ実施に当リテハ左記事項御了知ノ上地方各種団体ノ協力ヲ求メ、更ニ格段ノ御尽力相煩度、此段及二通牒一候也。
記
一、集団疎開学童受入ニ関シテハ、特ニ左ノ事項ニ付、地元市町村当局ニ於テ極力援助協力スルコト。
1、宿舎ノ借上及借上条件ヲ決定スルコト。
2、其ノ他必要ナルモノ(寝具・炊事用具・机等)借入ニ関スルコト。
3、地元ニ於テ採用スル寮母、作業員等ノ詮衡ニ関スルコト。
4、宿舎ノ付属設備(便所・炊事場・洗面所・浴場等)ノ新設、改造、手入ヲ要スルモノ、手配ヲ講ズルコト。
5、宿舎ニ於ケル賄ニツイテノ協力ノコト。
6、嘱託スル医師・看護婦ヲ斡旋スルコト。
7、教育ハ、原則トシテ地元国民学校ニ委託スル建前トナルコト。
8、食料其ノ他生活必需物資ノ配給ニ関スルコト。
栃木県ノ学童集団疎開実施要領ニ依ル。
9、輸送ノ協力ニ関スルコト。
前項同様
二、宿所借入契約ニ関シテハ、主トシテ地元当局ノ斡旋ニ依ルモ、其ノ借上料ニ付テハ、現在ノ設備ニ於テ左
ノ標準ニ拠ルベキコト。
神社、寺院、公会堂等
畳一畳ニ付、月八拾銭ヲ標準トシ、
最高壹円五拾銭ニ止メルコト。
普通旅館
畳一畳ニツキ別表料金ヲ標準トシ、
室ノ良否ヲ参酌スルコト。
料理屋
普通旅館ノ料金ニ準ジ定ムルコト。
温泉旅館
畳一畳ニツキ月五円ヲ最高トシ、
普通旅館ノ料金ヲ参酌シテ定ムルコト。
民家
最高貮円トシ、四囲ノ状況ニ応ジ定ムルコト。
コノ決定ハ、最終現地検分ノ際行フ。
借入条件ヲ多岐ナラシメズ(電灯・水道等ヲモ含メ) 一括扱トスルコト。
三、便所、炊事場、洗面所、浴場等ノ施設ヲ要スルモノ、物資ハ、極力地元ニ於テ調弁スル様斡旋スルコト。
若シ地元ニ於テ不可能ノ場合ハ、更ニ地方事務所ニ連絡スルコト。
四、右等ニ関スル経費ハ、都ヨリ直接支弁スルモノニツキ、都各区ノ職員ト連繋ヲ保チ処理セラレタキコト。
別 表
等級 室 料 備 考
一〃 四円五拾銭 等級ハ昭和十七年十月二十日
二〃 參円五拾銭 栃木県告示六一七号、最高宿泊料ノ等級ニ依ル。
三〃 參円 右ヲ等級ニ依ル畳一畳ニ対スル月借入料金トス。
四〃 貮円五拾銭
五〃 壹円七拾銭
六〃 壹円五拾銭
七〃 八拾銭
八〃 七拾銭
新号外
昭和十九年八月十五日
新合村長 田 中 茂 平
各部落会長殿
疎開学童用野菜物供出方ノ件
来ル八月二十日ヨリ本村高林寺ヘ、東京都麻布区ヨリ疎開学童百二十名来村致可ニ付、之ガ需要ノ野菜物ヲ当分ノ間供出願度、就テハ第一回(約一ヶ月分)供出左記ノ通リ御協力願度、此段得二貴意一候也。
記
部落名 | 供出数量 | 供出年月日 | 主タル供出野菜類 | 摘 要 | |
甲部落 | 十八貫 | 八月十八日 | 馬鈴薯 ナス キウリ ネギ 玉ネギ 其ノ他 | ||
乙〃 | 二十七貫 | ||||
丙〃 | 十貫 | 八月二十五日 | |||
丁〃 | 十六貫 | ||||
東下〃 | 二十五貫 | 八月三十日 | |||
東上〃 | 十三貫 | ||||
西上〃 | 十八貫 | 九月五日 | |||
西下〃 | 十二貫 | ||||
山下〃 | 十三貫 | 九月八日 | |||
山上〃 | 十三貫 | ||||
梅園〃 | 十三貫 | 九月十三日 | |||
備 考 | 一、供出物ハ各部落共指定迄ニ、会長宅ヘ集荷シ置カレタク、 雑夫引取リニ出向ス。 一、供出物ノ代金ハ後日支払ス。 |
委 嘱 状
拝啓 時下益々御健勝ノ段奉二慶賀一候。
過般当区学童御地疎開後既ニ五ヶ月ヲ経過仕リ、其ノ間各位ノ強力ナル御支援ノ下、洵ニ順調ナル営ミヲ続ケ得ルノ情況ト相成候段、偏ニ貴職御高配ノ賜ト衷心ヨリ感謝罷在次第ニ御座候。戦局日ニ苛烈集団疎開ノ意義益々重要性ヲ加ヘ、学寮運営又一層慎重ヲ期スベキ秋ニ当リ、学寮寮務万般ニ渉リ貴職今後ノ御高配ニ俟ツ所大ナルモノ有レ之、就テ貴職ニ栃木県安蘇郡新合村所在、東京都三河台国民学校集団疎開学寮ニ関スル事務ヲ御委嘱申上度、時局柄公務御多端ノ折柄恐縮至極ニ存候ヘ共、今後共宜敷御指導御支援賜リ度、此段得二貴意一候也。
敬具
昭和十九年 月 日
東京都麻布区長 赤 羽 幾 一 印
新合村長 田中 茂平殿
新号外
昭和十九年十月十三日
新合村長 印
安蘇地方事務所長殿
学童集団疎開宿舎設備ニ要スル資材申請ニ関スル件
標記ノ件左記ノ通リニ付特段ノ御配慮相煩度、此度及二申請一候也。
追テ当資材中ニハ冬期設備上是非必要アルモノ有レ之、可レ成速ニ御処置相成度申添ヘ候。
記
一、電灯コード 三十米
但シ現在使用中ノ女子宿舎便所一 新設便所一 廊下(便所通路・下駄箱置場)一 新設風呂場二
炊事場(増灯)一
合計六灯ノ新規引込ヲ要スル為必要ナリ。
二、障子紙 十八本(障子本数四十四本分)
現在寝室ノ回リニハ、障子ヲ建テ、居ラヌ状態ニテ、寒気モ日益ニ加フル折カラ速急必要ナリ。
三、硝子 二十四枚(戸六枚分)
新設風呂場、間口二間、奥行二間半、硝子戸六本ヲ建テル。
昭和十九年十月十九日
安蘇地方事務所長 印
新合村長殿
安蘇郡・佐野市疎開学園一覧表(注 田沼町関係のみ記す) |
学校名 | 宿 舎 | 児 童 数 | 職員氏名並員数 | 備考 | |||||||||
名称 | 所在地 | 下車駅 及里程 | 学年 性別 | 三年 | 四年 | 五年 | 六年 | 計 | 訓導 | 寮母 | 作業員 | ||
三 河 台 | 大 明 学 園 | 安蘇郡 田沼町 栃本 本光寺内 | 東武 田沼 | 男 | 一六 | 一三 | 一〇 | 一七 | 五六 | 出発予定日 | |||
女 | 八 | 八 | 一三 | 一五 | 四四 | 八月十八日 | |||||||
計 | 二四 | 二一 | 二三 | 三二 | 一〇〇 | 三 | 三 | 三 | 合計一〇九 | ||||
高 林 寺 | 同 新合村 閑馬 | 同 | 男 | 一二 | 一七 | 一〇 | 一六 | 五五 | 同 | ||||
女 | 一三 | 一一 | 九 | 一二 | 四五 | 八月十八日 | |||||||
計 | 二五 | 二八 | 一九 | 二八 | 一〇〇 | 三 | 三 | 三 | 合計一〇九 | ||||
新合 裁縫室 | 同 | 同 | 男 女 計 | ||||||||||
種 徳 院 | 同 戸奈良 | 同 | 男 | 二三 | 一四 | 一七 | 一四 | 六八 | 同 | ||||
女 | 一六 | 八 | 一七 | 一一 | 五二 | (五) | 八月十八日 | ||||||
計 | 三九 | 二二 | 三四 | 二五 | 一二〇 | 四 | 三 | 四 | 合計一三一 | ||||
本 村 | 西 林 寺 | 安蘇郡 田沼町 田沼 | 同 | 男 | 〇 | 一〇 | 八 | 一〇 | 二八 | 同 | |||
女 | 八 | 四 | 八 | 四 | 二四 | 八月十八日 | |||||||
計 | 八 | 一四 | 一六 | 一四 | 五二 | 一 | 二 | 二 | 合計 五七 |
麻布区学童集団疎開復帰ニ関スル件
今般戦争終結ニ際シ、麻布区学童集団疎開大部分復帰ト決定、左記日割ニ依リ出発致候条、歓送等可レ然御手配相成度、此段及二通知一候也。
(注 田沼町関係のみ)
所在 | 学寮名 | 復帰月日 | 発 駅 | 校 名 |
安 蘇 郡 | 大明学寮 | 十・二十二 | 田沼 | |
種徳院〃 | 〃 | 〃 | 東京都 | |
高林寺〃 | 〃 | 〃 | 三河台国民学校 | |
西林寺〃 | 十・二十二 | 田沼 | 東京都 | |
千手院〃 | 〃 | 〃 | 本村国民学校 |
(『田沼市史』) |
【付記】栃木県田沼町史に記録されている学童集団疎開の受け入れから復帰に至る過程である。麻布区三河台・本村国民学校の受入に当って、安蘇地方事務所長の援助協力依頼、宿所借入契約の件、野菜物供出方、等詳細に当時の実態が示されている。又、疎開学園一覧表によると昭和十九年八月十八日安蘇郡に到着、昭和二十年十月二十二日東京へ復帰するまでがまとめられている。受入の田沼町新合村役場に所蔵されていた。