東京市赤坂商業学校

昭和八年三月九日
                           東京市長代理
                            東京市助役 齋 藤 守 圀
 文部大臣 鳩山 一郎殿
   東京市赤坂商業學校設置ノ件認可申請
本市赤坂區ニ於テハ高等小學校卒業生ニシテ直ニ商業ノ實務ニ從事スル者遂年増加ノ實狀ニ鑑ミ之ニ對シ商業ニ關スル簡易適切ナル知識技能ヲ授クルハ刻下ノ急務ナリト認メ實業學校令ニ依リ標記商業學校設置致度候條御認可相成度別紙關係書類相添此段及申請候也
 
一、名   稱   東京市赤坂商業學校
二、位   置   東京市赤坂區檜町十三番地
          東京市中之町尋常小學校共用
        イ 敷地面積、建物配置圖、別紙ノ通リ
        ロ 地  質 黒色粘土
        ハ 附近ノ狀況 住宅地ニシテ道徳上衞生上支障ナシ
        ニ 飮料水  東京市上水道
三、學   則   別紙ノ通リ
四、生徒定員    二〇〇(一學年 一〇〇名 二學年 一〇〇名)
        イ 昭和八年度收容人員 一〇〇名
          第一學年  二學級
        口 昭和九年度收容人員 二〇〇名
          (一學年 一〇〇名 二學年 一〇〇名)
五、開校年月日   昭和八年四月一日
六、收入支出豫算表
   別紙ノ通リ
七、職員數及俸給豫定表
   別紙ノ通
八、設置區域内ニ於ケル實業狀況
  當區域ノ大部分ハ商業地域ニシテ父兄亦商工業者、會社員等多シ最近三ヶ年間ニ於ケル(昭和八年一月末
  現在)卒業兒童ノ就職狀況ヲ見ルニ其内約六割以上ハ商工業ニ從事シ又商工業學校ニ通學スルモノモ尠カ
  ラス
九、本校ノ設備並維持費
  本校ハ中之町尋常小學校並既設赤坂高等小學校ノ設備ヲ共用セントスルモ其ノ備品等ノ設備ハ昭和八年度
  ニ於テ區費ヲ以テ壹千九百圓ヲ支出シ漸次之カ完成ヲ期セントス
  維持經營ニ關スル經費ハ授業料及市補助金ヲ以テ之ニ充テ不足額ハ一般區經濟ヲ以テ支辨シ聊モ遺憾ナキ
  ヲ期ス
十、學校醫ニ關スル件
  學校醫一名(囑託)ヲ置キ區費ヲ以テ支辨ス
十一、赤坂高等小學校ニ於ケル兒童收容ニ關スル件
  中之町小學校内既設赤坂高等小學校ハ從來四學級規模ノ處昭和七年度卒業兒童ノ卒業後二學級規模ニ變更
  シ新ニ入學希望ノモノハ青山高等小學校ニ收容ス(三學級編成ノ見込)
  昭和八年度ニ於テ赤坂高等小學校ハ兒童ノ卒業ヲ俟ツテ之ヲ廢止シ區内ニ於ケル高等小學校入學希望ノ兒
  童ハ全部青山高等小學校ニ收容ス
十二、特別教室ニ關スル件
  商業學校ニ於テ特別教室使用ノ必要アル場合ハ總テ中之町尋常小學校及既設赤坂高等小學校ノ特別教室ヲ
  共用ス但簿記教室ハ專用ス

(都公文書舘資料)


 
【付記】檜町小学校沿革誌によれば(中之町小学校は昭和二十一年に檜町小学校と改名されている)、昭和八年四月一日赤坂高等小学校は第一学年を置かず別に二年制の赤坂商業学校が設立され四月五日授業を開始した。生徒一〇三名。昭和二十三年一月同居していた赤坂商業学校は東京都立赤坂高等学校となった。
 
 
   「東京市赤坂商業學校」
  (一) 設立要旨
 近代教育思潮の歸趨は生活原理に立脚した自由文化への創設を强調するものである生活の實際に觸れた教育機關は卑近で而かも直接役立つことを意味するものでなければならぬ。
 從來の高等小學校は法制的立場からして時世の進運に伴って實社會の要求に應ずる職業的素養を與へることは極めて困難である。試みに現制の高等小學校令によれば商業學科は一週僅に五時間(女子二時間)を授け得るに過ぎない。
 されば文部省は昭和五年尋常小學校卒業程度を入學資格とする、二箇年制實業學校の制定を認め商業に關する諸種の教養と實習的訓練とを習熟せしめ、卒業後直ちに實社會に活躍することを目的としたるも蓋し偶然ではない。
 こゝに本校は商業學校規定により率先新制度による商業學校を設立し、實際的なる商業知識の收得と人格陶冶に併せて常識の涵養を旨とする所謂堅實なる中堅人物の養成を圖らんとするものである。これ實に時勢の推移に伴ふ切實なる叫びに應ずる所以であると信ずる。
 
  (二) 教育方針
(1) 世界の大勢を理解し、健全なる國家觀念を體して帝都市民たる自覺を意識し勤儉力行、克く自立自營の
   精神を發揚することが出來るやうに努める。
(2) 商業に關する實踐的智能を授けると共に、常に通俗平易な職業的指導を試み經濟的識見を具へて直に實
   社會に活動し得られるやうに努める。
(3) 女子に對しては女子特有の教科を重んじ、兼ねて婦徳の涵養を圖って社會的にも家庭的にも、大いに活
   動することが出來るやうに努める。
 
  (三) 實際教育
前述によります教育方針に基きまして本校教育の實際は「明朗、勤勉、服從」を信條と致しまして、いづこ如何なる場合に於きましても
 「ハイ」と心持よい返事をして立ち上るといふことをモットーとして居ります。
 怜悧、健康でなければ眞の明朗はあり得ません。理解のないところに勤勉はなく、親切なきところに又眞の服從はあり得ません。これらは使はれる者として、又他日使ふ人として生涯への教訓として置きます。
 又本校は前述の通り中堅人物の養成を目的として居りますから思想方面にも充分な信念を與へ、實際的教育作業教育に重きを置いて居ります。
イ、學 科
  普通學科 修身、公民、國語、數學、地理、國史、英語、體操、音樂、家事裁縫(女子)
  實業學科 商事要項、商業簿記、商品大意、商業實踐、商業作文
  作業學科 タイプライテング、工業圖案、商業實踐、其他は課外指導による。
ロ、設 備
  タイプライター二十六、ショウウヰンドー一、ショーケース一、レジスター一、自習用電話一、
  謄寫版五、自轉車五臺、商品見本、商店用具一等
ハ、指 導
 (1) 職業指導 年數回實際家により苦心經驗談の講演會を開催
 (2) 職業見學 每月一回以上、各種市場倉庫、百貨店、手形交換所、各種取引所、各種工場等の見學。
 (3) 委託實習 冬期年末休業を利用して各種商店に依託實習をなさしめる實際的指導。
 (4) 課外指導 商業實踐、電話練習、タイプライター、謄寫版印刷。自轉車、作法實習(サービスの訓練を
         も含む)實用習字、商業會話等の指導を每週每日課外指導をなす。
 (5) 其  他 商業美術研究會、特殊講習會、生徒自治會、等の會合並指導。
二、就 職
   就職斡旋並補導

(『中之町學報』昭一〇)


 
【付記】昭和十五年の『中之町学報』に卒業生の進路先について次のように記載されている。卒業生男子三十二名・女子五十名のうち男子については、上級学校への進学四名、自家就職十名、森岡商店四名、資生堂・丸善各三名、近藤商店二名、伊勢丹・高島屋・冨岡商店・菊屋食料品店・千代田航空精機・東部軍司令部各一名。女子については、上級学校進学一名、家事十一名、丸善五名、貯金局四名、簡易保険局・堤商事各三名、昭和銀行・日本教育図書・株式会社ノーブル・千代田航空精機各二名、逓信局・三菱商事・共販石油・日本ヒューム管・赤坂区商工信用組合・航空本部・日本曹達・三四石炭・千代田火災保険・日本航空・倉林商店・笠井薬局・逓信省電気試験所・府立六中事務・台湾合同鳳梨東京出張所各一名である。