学 校 名 | 設 置 場 所 | 出 身 国 民 学 校 | 生 徒 数 | |
区 立 | 港 中 | 愛宕高等国民学校旧校舎 (現港工業高等学校) | 西桜、南桜、(愛宕高等国民学校) | 一年・二年・三年 合計314名 |
愛宕中 | 愛宕国民学校旧校舎 | 西桜、南桜、桜川(公立青年学校都立竹芝商工学校 公立青年学校都立御田実践女学校) | 一年146名、二年184名、三年18名 | |
北芝中 | 鞆絵小学校 | 鞆絵、桜田 | 一年88名、二・三年なし | |
芝浜中 | 神明小学校と 都立芝商業高校 | 桜田、神明、竹芝、芝浦 | 一年238名、二・三年なし | |
朝日中 | 三光小学校 | 三光、神応 | 一年114名、二・三年なし | |
城南中 | 都立城南中学校(4教室)と 南山小学校(4教室) | 麻布、南山(麻布青年学校・三河台実践女学校) | 一年220名、二年57名、三年19名 | |
赤坂中 | 檜町小学校(赤坂女子商) | *赤坂、*氷川、*檜町 (*赤坂青年学校) | 一年98名、二年34名(男子のみ)、三年なし | |
新星中 (しんぼし) | 都立第一中学校 | 赤坂地区の男子のみ | 一年男子100名、二・三年なし | |
私 立 委 託 | 正則中 (正則学院) | 愛宕国民学校旧校舎 (校舎焼失のため) | 赤羽 (昭和22年4月~26年3月) | 一年149名 |
東京学院中 (東京女子学園) | 芝、御田、南海(品川) (昭和22年4月~25年3月) | |||
頌栄中 (頌栄女子学院) | 白金 (昭和22年4月~26年3月) | 一年198名 | ||
高輪第二中 (高輪学園) | 高輪台 (昭和22年4月~26年3月) | 一年185名 | ||
順心中 (順心女子学園) | 笄、本村 (昭和22年4月~27年3月) | |||
都 立 | 外苑中 | 旧東部七部隊の兵舎跡 (都立青山高校校庭で 5月2日に入学式を行う) | 青山地区と渋谷区の生徒 | 一年362名 (男子186、女子176) |
(『東京女子学園八十年史』、『正則学院百年史』、『頌栄女子学院百年史』『高輪学園百年史』、『順心女子学園六十年のあゆみ』、『渋谷区教育史資料編』、『東京都教育史資料総覧』、『港区立各中学校記念誌』他) | |
1 *印は平成八年現在未確認。赤坂地区は特に戦災による被害が大きく、生徒の数も極めて少なかった。 | |
2 頌栄中は、昭和二十三年度からは女子生徒のみを受け入れた(白金小・高輪台小)。 高輪第二中は、昭和二十三年度からは男子生徒のみを受け入れた(白金小・高輪台小)。 | |
3 新星中は 昭和二十三年度に青山中と名称を変更し、青南小内に移転し、外苑中より女子生徒九九名を受け入れる。そして青山地区の 男女生徒を受け入れた(青山小・青南小)。 | |
4 都立外苑中は 昭和二十三年度に渋谷区に移管され、渋谷区立外苑中となり 港区の生徒受入れは中止された。 (発足当時の外苑中は、港区赤坂青山北町四―四三にあった) くわしくは『渋谷区教育史資料編』参照。 | |
5 新星中の初代校長は都立第一中学校校長(菊池竜道)が兼務した。 赤坂中の初代校長は都立赤坂女子商業学校校長(繁田利夫)が兼務した。 | |
6 高輪台商工実務学校(公立青年学校)の在校生・卒業生が進学した学校は不明である。 |
【付記】新制中学校は昭和二十二年四月一日に発足したが、港区立中学校は準備のため殆んどの学校が四月二十九日に入学式を行ったとの記事が各校の周年誌に記載されている。