昭和年 | 月 | 日 | 事 項 |
二二 | 四 | 二九 | 東京都立第一中学校に港区立新星中学校として併設され、同校校長菊地龍道校長兼務、職員三(武田忍、岩本時雄、中島雄次郎)事務一(岸芳子)、生徒男子一〇〇名 |
二三 | 三 | 三一 | 武田忍、新星中学校校長に補さる |
四 | 一 | 校名を港区立青山中学校と改める | |
四 | 一〇 | 東京都立第一中学校より、港区立青南小学校に移転す | |
一三 | 渋谷区立(?)外苑中学校より女子生徒九九名を受入れる | ||
五 | 三一 | 一階五教室完成し小学校教室借用を平常に復し五教室をもって二部授業を行う | |
七 | 一〇 | 三階使用中の衛生工業研究所が都立蔵前工業高等学校へ移転につき三階四教室を使用し、二部授業を解消す | |
九 | 九 | 三階罹災教室修理完了、一階より四学級移転す | |
一〇 | 二一 | 二階罹災教室修理完了につき一階は青南に返し三学級移転す | |
一二 | 四 | 校舎竣工式を挙ぐ | |
二四 | 九 | 大宮御所土地の一部解放についての陳情書を赤坂復興促進会長黒川武雄より宮内庁長官へ提出 | |
二五 | 二 | 九 | 大宮御所一部解放についての申請を港区長中西清太郎より宮内庁長官へ提出 |
八 | 二三 | 皇室経済会議開催 同会議において皇室用財産の一部用途廃止に関する件可決さる 出席者 議長として吉田総理大臣、幣原衆議院議長、岩本同副議長、佐藤参議院議長、三木同副議長、池田大蔵大臣、田島宮内庁長官、佐藤会計検査院長、このとき青山中学校用として三、〇二八坪が承認された | |
九 | 一 | 屋上新教室工事完了、二階一教室を青南小学校に返す | |
一二 | 四 | 閣議において処分保留となる | |
二六 | 四 | 占領軍に旧陸大の接収解除の陳情を行う | |
七 | 一〇 | 港区長中西清太郎より国有財産払下げに関する申請書(港赤教発第一一四号)を大蔵省財務局長へ提出 | |
一一 | 港区長及び青山中学PTAより特別調達庁長官に陳情書を提出 | ||
一二 | 却下の通知を受ける | ||
一八 | 港区議会教育常任委員会において再申請することに議決 | ||
二〇 | 港区議会教育常任委員長水野鍵三郎より、旧陸大払下げ並びに接収解除の陳情書を関東財務局長へ提出 | ||
二六 | 区長名にて再び申請書提出 | ||
二七 | 一 | 一〇 | 後援会創立総会(後援会の結成) |
二〇 | 船田中先生後援会長就任 | ||
三一 | 払下申請書再び却下の通知を受ける | ||
二 | 一二 | 区長名にて港赤教発第四八号をもって「行政協定により日本政府に返還されたとき」として、国有財産払下げの申請を大蔵省財務局長へ提出 | |
七 | 船田会長を中心に、赤坂支所より長谷川支所長、森教育課長、理事として荻野・湯川・吉田各区会議員も出席して熱心な意見を発言され、今後の見通しと運動方針について協議する 出席者二六名 | ||
一四 | 船田後援会長、馬越・柿原両副会長、斉藤PTA会長が学校側と共に、中西区長、小田助役、長谷川支所長、吉田教育長へ陳情、米国よりラスク特別大使が来て行政協定が結ばれて、解除に対する根本方針が近日の中に決定されることについて懇談をする | ||
五 | 六 | 区長名にて国有財産売払申請(二三号)を大蔵大臣池田勇人宛提出 添付書類として一 理由書 二 位置図 三 利用計画書 四 用地平面図 五 東京都港区教育常任委員長名による陳情書写 六 二七年度港区予算抜粋 | |
六 | 三 | 港区議会にて払下申請を議決、即日関東財務局に申請書を提出 | |
九 | 五 | 安井知事より駐留軍サービスコマンド司令官(オンスロー・エス・ロルフ氏)に対しての返還の時期促進のため懇請 | |
二六 | サービスコマンド司令官高級副官名をもって向う九ヶ月乃至一二ヶ月以内(昭和二八年六月乃至九月以内)に返還しうる旨の回答に接す | ||
一〇 | 一〇 | 青山中学校新校舎整備期成会発足 会長船田中、募金目標三五〇万 | |
一九 | 戦後日本が独立して最初の衆議院議員選挙に於いて、後援会長船田中先生、PTA副会長長谷川昇先生の当選祝賀会を明治記念館において開催 出席者五〇名 | ||
一二 | 八 | 青山中学校整備期成会の募金許可認可さる | |
一七 | 青南小学校長小笠原正之(五二才)青山中学校長武田忍(四四才)の連名で「港区立青山中学校校舎並びに校地に関する陳情の件」と題して来年度の収容対策上、二八年三月迄返還が実現するよう、都知事、大蔵省及びサービスコマンドの三者に対して区議会の議決をもって陳情するよう港区議会議長河村末松宛請願書提出 | ||
二三 | 港区議会において右請願採択(副議長斎藤慶雄) | ||
二五 | 港区議会議長河村末松名をもって、都知事、大蔵大臣、サービスコマンド司令官宛陳情書を提出 (当時の中学生八五四名、小学生一二〇〇名、計二〇五四名が青南小学校舎に在り、翌年四月より中学校四、小学校五、計八(九?)学級増加の予定であった | ||
二八 | 三 | マーフィー米大使の書信を受取る | |
四 | クラーク大将高級副官フォーデン大佐より書信を受取る | ||
五 | 二六 | 谷川PTA会長、馬越副会長、西山・小田村両後援会理事と共に、大蔵省に愛知政務次官、船山事務次官を訪ねて陳情、更に鈴木大蔵財務参事官とも懇談、陳情を重ねる | |
九 | 一 | 青南小学校講堂を四教室に仕切 授業を行う | |
一〇 | 五 | 大蔵省窪谷管財局長、山田大蔵事務官本校を視察する 区側は中西区長・小田助役・吉田教育長、PTA側より谷川会長、大塚・馬越両副会長、小笠原青南小学校長等同席 武田校長の案内で小学校と併設の窮状を説明 中西区長・谷川会長ともども深甚の謝意を表し、今後の協力を懇請する | |
一二 | グリーンパーク(三鷹)完成して、駐留軍に仮引渡しが行われた 日本政府に返還される建物の一覧表を提出しこの返還は引渡し後一二〇日後に行うとの公文書を外務省は受領した。この表には旧陸大も含まれているので、その促進のため特別調達庁、外務省、大蔵省に再三陳情を行う | ||
二九 | 二 | 一八 | 青山小学校に分校をおき、二年全員移転す |
三 | 二回米大使館に陳情する | ||
六 | 二 | 旧陸大校舎接収解除さる | |
七 | 中西区長より大蔵大臣小笠原三九郎宛国有財産売払申請を行う | ||
八 | 一六 | 中西区長・教育委員会連名にて(港教発第二四五号)旧陸軍大学土地建物の払下価格に関する陳情書提出 | |
三一 | 右売払方針の決裁 | ||
九 | 二八 | 関東財務局長より大蔵大臣へ申請 | |
二九 | 大蔵大臣臨時代理愛知揆一より関東財務局宛蔵官三〇七一号発信さる | ||
一〇 | 二一 | 旧陸軍大学の校舎(建物)と土地を大蔵省より払下げうけて、青山中学校に使用することを区議会において可決さる 建物延九三六・六坪 宅地五、七五五・九坪 付属する工作物一式 立木七三本を含めて評価総額六、六八六万二、三六〇円 この中一、三三九万二、三六〇円を即金とし、残金は明三〇年より十ヶ年々賦で支払うことに決定 | |
二四 | 旧陸大校庭に於て移転祝賀大運動会を開く | ||
三〇 | 二 | 二二 | 旧陸大校舎改修工事は吉本建設によって完了し、青山中学校の管理に入る |
二五 | 新校舎へ移転開始 | ||
三 | 一 | 新校舎で授業開始 | |
四 | 八 | 校舎独立記念式並びに祝賀会を挙行、「学校の現況」学級数二五、在校生男子八二七名女子五〇五名計一、三三二名、教諭三八・講師六・職員五・用務員三・警備員三、卒業生一、七四一名 | |
九 | 一九 | 自衛隊砂本一尉以下六名がバケットローダー一、トレーラー一をもって校庭の整地を行う | |
一〇 | 九 | 校舎独立一周年を記念し、学園の歌「みどりぞもゆる」一年磯野直政君の作当選 | |
二一 | 校舎独立記念式典挙行、表彰者PTA側八〇名 職員側五名(吉田三男也、滝川軍、岩本時雄、関野岸蔵、岸芳子) | ||
三二 | 三 | 六 | 増築校舎(鉄筋コンクリート四階建)辰村組によって着工 |
八 | 二七 | 同上引渡し完了 | |
九 | 二一 | 中学校創立十周年記念式並びに増築校舎落成式を挙行 |
(青山中学校資料)