発足時の愛宕中学校

   (一) 学校の行事
昭和二十二年度
 四月 十九日 野口彰先生初代校長として就任
 四月二十九日 開校式
 五月  三日 新憲法施行記念式
        第一学期始業式
 五月  六日 学級委員選出
 五月  八日 父兄会企案委員会
 五月 十三日 愛宕中学校正則中学校生徒紹介式
        校友会会則原案打合
 五月 十九日 父兄会
 五月二十三日 都下中学校長懇談会
 五月二十六日 全校遠足(谷津海岸)
 五月二十七日 校友会結成総会
 五月 三十日 ドージャー先生講演会
 六月  三日 学級委員自治委員任命式
 六月  五日 大蔵省・文部省・都教育局主脳視察
 六月 十五日 父兄懇談会
 六月二十一日 身体検査
 六月二十三日 身体検査
 六月二十八日 文化祭(音楽・演劇)
 六月 三十日 文化祭(体育)
 七月 十五日 父兄懇談会
 七月 十六日 文部省石山課長参観
 七月 十九日 第一学期終業式
 八月二十二日 全国職業指導研究会
 九月  一日 第二学期始業式
 九月 十二日 夏休み中の研究発表会
 十月  一日 図書室開館式
 十月 十二日 秋季運動会
 十月 十八日 放送教育室開始
 十月 三十日 全校遠足・高尾山(一年)與瀬・高尾山(二年)與瀬(三年)
十一月  一日 観劇「ヴェニスの商人」(都立第六高女)
十一月  三日 憲法記念式
十一月 十一日 創造美術会・樹下行雄氏外四名写生指導
十一月 十六日 港区中学校連合運動会
十一月二十六日 芸能祭
十二月二十六日 学芸会 ピンポン大会
十二月二十七日 第二学期終業式
 一月 十二日 第三学期始業式
 一月 三十日 冬休み中の研究発表会
 三月  三日 三年生を送る学芸会
 三月 十五日 修了式・謝恩会
 三月二十五日 昭和二十二年度終業式
 
昭和二十三年度
 四月  十日 第一学期始業式
 四月 十四日 総司令部教育顧問ジョンソン氏来校
 四月 十七日 ラジオ聴取座談会
 五月  三日 憲法施行記念式開校記念式
 五月 十一日 遠足・稲毛海岸(一年)
 五月 十三日 遠足・観音崎(二年)神武寺(三年)
 六月  一日 観劇「にんじん」(鞆絵小学校)
 六月 十九日 P・T・A総会
 六月 三十日 自由研究発表会
 七月  一日 ウイルヘルミナ・ヒル女史参観
 七月 二十日 第一学期終業式
 八月  四日 沼津学園参加者出発
 八月  六日 沼津学園参加者帰京
 九月  一日 第二学期始業式
 九月 十五日 夏休みの研究発表会
 十月 十七日 秋季大運動会
 十月二十五日 遠足・富津岬(二年)富津岬一泊(三年)
 十月二十七日 遠足・湯ヶ原・熱海方面(一年)
十一月  三日 港区中学校連合運動会
十二月二十四日 学芸会
十二月二十七日 第二学期終業式
 一月 十一日 第三学期始業式
 一月二十六日 映画鑑賞会「安城家の舞踏会ほか」(児童館)
 二月二十四日 映画鑑賞会「風の子」(芝園館)
 三月  六日 新制高校入学志願者学力検定(港区・渋谷区)
 三月  九日 三年生を送る学芸会
 三月 十五日 修了式・謝恩会
 三月二十五日 昭和二十三年度終業式

(愛宕中学校友会誌『若葉』一号 昭二四)


 
   (二) 開校式
        開校式の日の感想
                                 二A 高橋 道彦
 去る二月中旬頃より、私たち愛宕小学校在校生の間に廃校の噂がされるようになった。六・三制の問題も時を同じくして、新聞やラジオで報道された。家の人もこのことに関して相当心配していた。又、学校に於いても父兄会が度々開かれた。やがて梅の花もちり、修了式も間近に迫った三月半ば頃いよ/\廃校が内定され、新制愛宕中学校になることが決定された様だった。僕たちにとり、六ヶ年はぐくまれ、親しみ合った愛宕小学校がなくなることは、何よりも心さびしいことであったが、その反面、校舎もそのまゝ愛宕の名もそのまゝの中学が出来ることは、僕たちの成長と共に成長し中学になった様な気がして、何かしら嬉しさもあった。
 桜のつぼみもふくらんで来た三月二十五日に修了式を迎えたが、この日は小学校及び多くの先生方とお別れの日のためか、朝から雨が降っていた。式前に雨の中で新聞社・ニュース社等のカメラ班がきて小学校としての最後の姿が、カメラの中へ納められた。式も最後だけに例年より尚一そう厳粛に行われ、こゝにめでたく六ヶ年間の学業を終了した。
 その翌日から、中学がいつ開校されるか、先生方はどんな先生か等と、友だちが集まるといつもその話が始められ、家の人たちも色々と話された。そして来るべき中学生として立派に学業が出来るようと疎開等によっておくれがちだった、六年生の復習が毎日続けられていた。
 そして待ちに待った愛宕中学校の開校式は四月二十九日。天皇誕生の佳き日であった。
 この日、風は強かったが、早朝より快晴。電車通りに面した二階の窓を開いた母が突然「道彦ちゃん早く来てごらんなさい。」と呼んだ。
 僕は急いで母の側に行き指さす方を見ると、愛宕小学校の屋上には日章旗が空たかく朝風にひるがえっているのを見た。終戦以来初めて日章旗のひるがえるのを見た。僕は日本の国の再生、天皇誕生日の佳き日、愛宕中学校の開校式をおもい、感激と喜びとで胸が一ぱいになり、しばらくは窓から離れず見守っていた。
 ふと気がつくと、妹も弟もいつのまにか僕の側に来て日章旗のひるがえっていることをこおどりせん許りに喜んだ。やがて電車がきた。その電車にも次々と来る電車にも四本の日の丸の旗がかゝげられていた。
 前の芝郵便局にも、電話局の門に旗が立っていた。僕は外へ出て見たが、どこの家にも旗は立てゝなかったが、僕の家は幸い焼け残ったので日の丸の旗があった。早速家の入口へ、日の丸の旗を立てた。
 近所では、僕の家たった一軒だけだった。僕は今日の開校式を全国民が祝って下さるような気がして嬉しくて、たまらなかった。
 さゝやかながら母の心をこめて作って下さった祝膳につき、着がえをして、時間が少し早かったが、待ちきれずに登校した。校門をくぐるとすぐ真新しい東京都港区立愛宕中学校の標札が目にうつゝた。
 校庭は男女共ににぎわっていた。午前九時開校式が始まり校長先生はじめ多くの先生方がそろって居られ、来賓の方々からも祝辞があり式は終った。
 僕は、「今日から中学生だ。しっかりやろう。」と心にかたく誓った。この日は僕にとって生涯忘れられない日であろう。僕たちが愛宕中学校の第一回生である。僕たちの勉強や行動の一切によって、愛宕中学校が世間から評価されることになり、また校風伝統のよしあしも、僕たちの第一歩より作られることを思うとき、僕たちの将来に対する責任は極めて重く、又れいめいを迎える様な明かるい希望にみちた楽しみがある。
 こうした気持をいつまでも/\忘れず、愛宕中学校を立派な学校にして行きたいと思う。

(愛宕中学校校友会誌『若葉』一号 昭二四)