教頭兼務

明治十四年二月七日
                                    學 務 課
公立南海小學教員野村吉寛外一名解約幷芝小學教頭福島雄莵をして南海小學教頭兼務之義別紙之通屆出候條呈一覽候也
追書松原恕巳認可狀之義燒失云々申出事實相違無之ニ付此段申添候也
 
 〔別紙〕
第四十五號
當區芝小學教員福島雄莵儀本校教頭兼務爲致候旨並南海小學教員野村吉寛外一名解約之儀別紙之通該校々務委員ヨリ申立候ニ付則認可狀相添此段及進逹候也
 但松原恕巳儀ハ認可狀燒失候旨今般申立候此段添申候也
  明治十四年二月四日
                             芝區長 前 田 利 充 印
 東京府知事 松田 道之殿
 
 〔別紙〕
                               教頭 福 島 雄 莵
右之者儀本校教頭兼務爲致候間此段御屆ケ申上候也
  明治十四年二月三日
                                右校務委員
                                 井 口 久治郎 印
                                 山 田 忠兵衞 印
 東京府知事 松田 道之殿

(都公文書舘資料)


 
【付記】明治十三年三月、東京府は「公立小学授業上整理之為毎校教員之内ニテ教頭一名ヲ置キ其人名選定之上可届出相達候事」の通達を出している。ただし、教頭の職務内容についてはこの時期は明確にされていない。