一、明治三十二年五月十四日 淺倉熊太郎本校學校醫囑託セラル年手當六拾圓
一、明治三十五年五月 解囑
一、明治三十五年五月十九日 蜷川昌本校學校醫囑託セラル年手當九拾圓
一、明治三十九年十一月 解囑
一、明治三十九年十一月二十五日 醫學士森田禎太大學別科卒業森川政亮本區專任學校醫囑託セラル年手當壹千圓
一、明治四十一年九月十九日 森田校醫廣島縣尾之道縣立病院長ニ轉勤
一、明治四十一年十月十二日 開業醫園田宗義本區專任學校醫囑託セラル年手當金一千圓
一、明治四十□年月日 醫學士高井元之助本校專任學校醫囑託セラレ年手當金一千圓
一、大正三年八月日 高井校醫辭職
一、大正三年九月三日 陸軍々醫人見祐一郎專任學校醫就任
一、大正六年四月 小山香專任學校醫拜命二十五日初出勤
一、大正七年四月七日 園田校醫依願退職
一、大正七年四月二十日 木俣隆平校醫拜命
一、大正十三年五月二十三日 野口竹治本校治療醫囑託
一、昭和五年四月一日附 野口竹治櫻川小學校醫ヲ囑託ス
一、昭和十二年三月三十一日 尾島庫二本校齒科醫囑託ス
一、昭和十四年三月三十一日 石川昭雄本校齒科醫囑託
一、昭和十六年三月三十一日 尾島庫二本校齒科醫囑託
一、昭和十九年三月三十一日 石川昭雄本校齒科醫囑託
一、昭和二十一年三月三十一日 尾島庫二本校齒科醫囑託
(『桜川小学校沿革誌』)
【付記】桜川小学校は明治六年創立の年から、昭和二十年度までの沿革誌を整理して記している。明治三十九年より四十□年まで任じられた学校医の年手当金が千円と記載されているが、当時の港区地域の小学校学校医の年手当金を他校の学校要覧等の例でみると百円と記されている。