〔八月十七日 長円寺学療長藤本光美より会沢学校長への報告〕
三男 ・學籍簿 進藤、井内、棚瀨、土橋
・身體檢査票及、口腔審査票
中泉、長澤、土橋、小暮、棚瀨、井内、澤埼、石井、五島、土ヶ端、進藤、杉山
一、炊事婦ノ公休日、月二日位トシ代ワリ日參圓五拾錢食事付トシテ雇ッテヨイデセウカ。
一、面會當方ニテ決定シ、明日アタリカラ許スツモリ
一、腫物ガ出來タ子供、傳染ノ恐レアリ藥不足、一度歸宅サセテ全快ノ上參加サセル樣ニシテヨイデセウカ。
一、水不足デ苦シンデ居リマス。不潔不衞生デ病氣發生ニ恐レテ居マス。
一、富盛訓導全快、眞福寺ハ村松君ニ願イマス。
一、面會當方差支ナシ。最初ハ一齊ニシタラト思イマス。學校ノ始マル前一度(十七日許可シタ。日ヲ極メズニ)
一、眞福寺ノ寮母ニハ閉口シテ居リマス。小倉サンガ可愛想デス。女ノ先生デ少シ、手傳ヘルモノヲ二・三
日手替ワリニ來テ貰ッテ休マセタイト思ヒマス。買イ出シ寢食皆一人デス。洗濯モ思フ樣ニ子供達ノガ
デキマセンカラ早々父兄ノ面會ヲ許シ手傳ッテ貰ッタラト思ッテ居リマス。
〔八月二十日禅昌寺学寮長富盛寛孟より会沢学校長への報告〕
拝啓 御無沙汰致して濟みませんでした。每日お忙しい事と存じ御健康を祈って居ります。私の膓炎も漸く
回復に向かひつつありますからご心配下さらぬようお願ひします。御視察後の禪昌寺の狀況を簡單に御報告
申し上げます。
一、兒童は其の後も引き續きほとんど皆と思はれるほど腹をこはし續けて參りました。床に着いている者は
ありませんが每日五・六人は腹がいたいといって食事しないものがあり、夜糞をする者があって困って
居ました。昨日は食事しなかった者七人夜糞を庭にした者三人、寢着を汚した者二人でしたが今日は左
樣の者は一人もありません。今日は半月分の米配給がありましたが小麥混合でとうもろこしははいって
いませんから明日からは腹をこわすやうな者はないと思ひます。
二、火曜日から町別に父兄の面會を許しましたが結果はたいへんよいと思われました。親も安心するし子供
も喜びホームシックは急になほったやうな感じがします。(藤本さんが君の所は面會を許可したらどう
だと言われたので早速實行しました)面會にいらっしゃった方の中にはメリケン粉でお菓子をつくって
いらっしゃって全部の子供に下さるかた、牛肉をもっていらっしゃって手づからライスカレーを作って
下さった方、洗濯をしてくださる方などございました。本日をもって第一回の面會は終り兒童もすっか
り落ち着いて參りました。
三、宿舍の狀況本堂を全兒童の寢室に當て觀音堂は兒童の所持品置場と炊事の材料置場、及私と炊事人の寢
室にして居ります。
四、炊事用具として四斗樽二つ、鹽甕一つ買ひました。それから米箱(七俵入)を造ってもらふやうに常會長
に頼んであります。コンロと小鍋も配給してもらひました。
五、眞福寺や長圓寺は米が足りなくて種々畫策奔走したりして苦勞して居りますがその點こちらでは幸に丁
度配給日に間にあひました。市内兒童の晝食分だけの増配はしないことに確定したさうです。(昨日米
の配給所で聞きました)
六、しっかりした寮母と炊事人を派遣くださることを每日待って居ります。こちらの村の者は後が來るまで
しかやらないと言って居りそれに我儘でいけませんから
七、私は宿をとってそこから通ひたいと思ひ幸に近くに八疊の間空いていると聞きましたから役場を通して
交渉して貰ふやう住持に頼みました。
先づは右思いつき次第を順序なく記載致し御報告申上げます。頓首
八月二十日 富 盛 寛 孟
會 澤 先 生
追伸 近所の新畑利亮といふ方がトマト五貫目ほど御寄贈くださいました。傷痍軍人で元近衞一連隊に入隊
してゐたとのことです。白米一升下さった巡査は今枝進次といふ方です。
〔三月十三日 会沢学校長より赤坂区長・地方事務所長への報告〕
昭和二十年三月十三日 赤坂國民學校長 會澤庄作
蓮花寺學寮兒童ヲ長圓寺學寮ヘ合併セシムルノ件所見
理由 一、長圓寺學寮ハ六女歸京ノ爲三十餘名ノ收容餘力ヲ生ズ
二、長圓寺ハ蓮花寺ニ比シ比較的安全感アリ。
三、蓮花寺學童ハ二月十七日艦載機ニ依ル日立航空銃爆撃ノ慘狀ヲ目撃以來恐怖心ヲ生ジ事後警報ニ對
シテ非常ニ敏感トナリ夜間等職員ヨリモ先ニ目ヲサマシ、自ラ服裝ヲ整ヘルノ狀況。
四、教職員其ノ他手不足ノ折柄學寮ノ統合ハ好都合。
現地當局筋ノ危險ニ對スル所見
一、大和校長 三月九日
1 B29ノ如ク高空ヨリノ盲爆ニツイテハ兩所區別ナシ。
2 小型低空銃爆撃ニ於テハ、日立ノ實狀ヲ見ルニ蓮花寺マデ側杖ノ恐レナシ。距離一千畑地ニ
ヨッテ工場ト部落トノ區別明瞭。
二、大和村長(助役蓮花寺住職)
1 校長ト同樣
2 日立ニ對シテB29等ニヨル高空ヨリ强力ナル爆撃ハ近クアルベシトハ思ヘズ寧選ベバ他ノ完全有
力ナル工場ナルベシ。貯水池ニ對シテモ右ニ同ジ。三月九日東京盲爆ニヨリ都心ノ人口激減ニヨ
リ水道破壊ノ意味激減。
3 總合シテ當村從來ノ部落ハソレホドノ不安ナク移轉セズトモ大丈夫ト思フ。
現地住民ノ狀况
一、日立社宅住民ハ本村部落ヘ疎開セントシツツアリ。勿論地方轉出大イニ勸奬中
二、日立社宅住民ハ警報ト共ニ本部落ヘ待避スル。
三、蓮花寺付近住民盛ニ防空壕ノ整備强化ヲ行ヒツツアリ。
斷行ノ利 多少ノ安全感ヲ得、手不足を緩和ス。
現狀維持ノ利 疎散狀況ニアル點、村當局學校側宿舍主ノ協力熱意ヲ有スル點
結論 區長、課長、校長協議ノ上決定(十三日)
當分現狀維持トス。將來狀況ニ依ッテ村山方面學寮ヘ合併シ得ル樣ソノ收容力ヲ保ツ
〔四月五日 長円寺学療長藤本光義より会沢学校長への報告〕
昭和二十年四月五日
村山村長圓寺學療長 藤 本 光 美
赤坂國民學校長 會澤 庄作殿
空襲災害状況報告(第二回目)
標記ノ件左記ノ通リ簡単ニ御報告申上マス
記
一、日時 四日午前零時半ヨリ三時半頃マデ
一、狀況・二日災害ヲ受ケタル所と殆ンド同ジ場所ヲ前ヨリ廣ク襲撃セラル
・長圓寺モ爆風ヲ受ケ破損甚ダシク再興ノ見込立タズ。住職始メ家族一同西多摩ノ親戚寺院ニ疎開ス
ルコトトナリタリ
・周圍ノ家十軒程破壞セラレ、死者數名、負傷者數名アル
・當夜ノ模樣、眞福寺ニ防空壕ノ使用効果アルモノナリ、周圍山地ニマデ時限爆彈投下セラレ機銃掃
射アリ、照明彈多數投下眞晝ノ如ク、學童身動キスルヲ出來ズ全ク處置ナク六十有餘人ノ生命ヲ預
カリ言語ニ絶スル苦シミヲセリ
・幸全員無事
舌代 父兄來寮ニ依頼ノ爲取急ギ報告書ヲ作リマシタ御判讀下サイ
目下眞福寺ニオリマスガ、今後ノ事ニツキ考ヘ中デス。
荷物ハ夜具ダケハ連絡員ノ御骨折デ運ビマシタガ後ハソノ儘デス。
狀況甚ダ惡化萬一ノ場合唯一ノ逃場トシテ居ッタ山地方ガ色々ノ事情ニヨリ爆撃ノ的トナリ、防空壕ナク、火災ノ起コッタ場合姿ヲミセレバ機銃デ掃射サレル心配アリ、豫想外ノ危險地トナリ今後ガ思ヒヤラレマス。
區役所ノ方ニモ來テ貰ヒタイト役場デモ申シテ居リマス。一日モ早ク次ノ對策ノ爲寮母、作業員等ノ件御指示下サイ。書類ニヨルト學校長ニ報告書ヲ出セバヨイ樣ニアリマスガソレデヨイデセウカ。
第一回ノモ第二回ノモ何處ヘモ出シテ居リマセン。
奉仕會ノ人逹ニデモ大至急壕掘リヲ願ヒタイト思ヒマスガ
〔四月七日 会沢学校長より赤坂区長・教育局長への報告〕
空爆被害狀況報告
一、學寮 村山村 長圓寺
二、日時 昭和二十年四月四日午前三時頃
三、箇所及び程度 本堂建具ノ一部吹キ飛バサル。兒童在宿セズ。
四、原因 B29来襲二、三百米先ニ投下セルモノノ爆風
五、付近ノ狀況 當日敵ノ目標ハ立川市中心ノモノノ如ク同市ノ被害ハ相當大ナル由 當地上空ニ照明彈ヲ
投下シ爆撃セリ。村内ニ落下セルモノ瞬發約百五十個 死者四名重傷者數名 民家倒壞若干
此ノ他引キ續キ二回來襲セラレタルニヨリ人心一般ニ恐怖狀態ニアリ。
六、村長所見 1 長圓寺ノ復舊工事ハ當分見込タタズ
2 此ノ狀況下ニ於テハ兒童ヲオ預リシテ安全ヲ期シ難シ。
3 今回ノ敵ノネラヒハ立川市ナリタルモノノ如キモ當地付近ニモ、整備學校、飛行場、陸軍
病院幾多軍事施設アリ最近狹山丘陵各所ニガソリン貯藏所ヲ設ケタル等周圍ヲ軍事施設ニ
取卷カレタルノ狀況ナリ。或ハ敵ハ更ニソレ等ヲ目標トシテ來襲セザルヤヲ疑フ
七、學校長所見 遠隔安全ノ地ニ再疎開ノ件考慮スルノ要益々急ナルヲ認ム。
(赤坂小学校資料 昭一九・二〇)