集団疎開教育第三学寮の経営

   櫻田小學校集團疎開教育第三學寮の經營
一 集團疎開教育の意義
  戰局益々苛烈にして本土空襲は頻繁さを加へ、當然の措置として學童集團疎開は成立した。正に教育の敵
  前疎開である。單なる空襲を逃れる爲の逃避行ではない。勝つ爲の布陣である。幼い生命を渡されるだけ
  ではない。之を鍛練し戰力へ直結すべく教育するにあらざれば集團疎開の意義は半減する。既ち戰渦より
  幼い生命を守ると同時に强固なる皇國民を造り出す仕事之が集團疎開教育であらねばならぬ。ことに今の
  小國民は戰爭の生まれ、戰爭の中に育ち、然して戰爭の中に飛びこんで行く運命にある。之が教育は必勝
  の教育であり、眞に必至で行なわれねばならぬ。おそれ多くも皇后陛下にはこの疎開教育に御心を寄せら
  れて御歌を賜はった。
   次の世を背負ふべき身ぞ 逞しく正しく伸びよ 里にうつりて何といふ有り難い御心であられるか、職
  員も兒童も皆感激す。然もつぶさに之を拜察申上げるならば陛下のお教へ且つ御心が盛られている姿が感
  ぜられる。
  それは、「逞しく、正しく」とその向かふべき目標を明瞭にお示しになっていると同時に之の點につき御
  心配あらせられていらっしゃるのでありがたい。恐縮するものである。この皇后の御期待に沿い奉り御安
  心なさる樣努力したい。
 
二 集團疎開の實踐
  昭和十九年八月二十九日の疎開以來既に七ヶ月この間如何なる教育をなし、兒童が如何に伸びきたりた
  か。さて、教育は實踐こそ尊ばれるものであり、その期間に未だ長しとはいえぬが中間報告かたがた反省
  の材ともなし、又將來への暗示ともなれば幸ひと考へここに實踐の姿を述べんとする。
1 櫻田國民學校の組織
  我が櫻田疎開學園は三學寮の組織である。
  第一學寮(本部)栃木縣鹽谷郡鹽原古町 上會津屋旅舘
       職員 五名、寮母 六名、兒童 一八五名、作業員 五名
  第二學寮    鹽谷郡鹽原内前町 坂本屋旅舘
       職員 二名、寮母 二名、兒童 七十名、作業員 二名
  第三學寮    鹽谷郡鹽原古町 舛田屋旅舘
       職員 一名、寮母 一名、兒童 二十八名、作業員 一名
  各學寮共三年生より六年生までの少年團組織である。
  學級は七學級で左の學寮に置く。
  第一學寮 第三學年男學級・女學級 第五學年男學級・女學級 計四學級
  第二學寮 第六學年男學級・女學級 計二學級
  第三學寮 第四學年男女學級 計一學級
 既ち、授業は各學級擔任によって學級單位に行なわれ、授業が終ると自分の宿舍に歸って三年より六年まで
 の混合の班生活に變わるのである。この點三學寮が近接しているので非常に便利である。然し各學寮とも賄
 は宿舍委託である。
2 小學寮經營の實際
 (一)第三學寮の組織 訓導 一、 寮母 一、作業員 一、兒童 二十八名
   兒童は 男子 一班 十六名、女子 一班 十二名
   男 三年 五名、四年 二名、五年 六名、六年 三名、 計 十六名
   女 三年 四名、四年 二名、五年 二名、六年 四名  計 十二名
  訓導・寮母は夫婦であり、作業員一名は宿の人である。當然そこには一大家庭といふ雰圍気を釀し出さず
  には置かぬのである。班長を兄と仰ぎ姉と慕ふ兄弟姉妹である。この第三學寮は櫻田疎開學園一大集團の
  一部となすと共にまた、このちいさい學寮は小さい學寮なりに家庭的な團結の下に出發したのである。
 (二)第三學寮の兒童逹
  疎開當時の子供逹
 ・ 班長 六年 頭腦明晰學力優秀なる兒童である。級長もしばしばやり、統率力もまた相當ある。只身體
         が細く見るからに弱々しく覇氣に乏しいのは遺憾である。
 ・ 副班長 六年 明朗なる兒童で班長と爭ひ事などすることがなし。感激性に富む。
 ・ 副班長 五年 成績優秀然し個人主義なるところあり。班員に對してはやや口やかましい。
   〔略〕

(桜田小学校資料 昭一九)