三田演説会

   明治七年六月二十七日 發會 土曜日
一、演說會規則草稿を諸員に分つ。
一、五名の幹事を撰ぶ。
              會  頭 小 幡 篤次郎
              甲記事官 中上川 彥次郎
              乙記事官 森 下 岩 楠
              應接官  和 田 義 郎
              出納官  小 泉 信 吉
            (但し一ヶ月を期限とすること)
一、當日の總員規則の草稿に自筆の姓名花判を記す。
一、十一時前散會す。
 
   六月二十八日 日曜日
一、幹事五人の集會を催す。
   七月一日 第二會 水曜日 辨論會
一、例刻より會を開く。
一、牛場卓藏君の入社決議。
一、松山棟庵君、一週間二度の集會は餘り繁多なることを發言し、陪言なし。
一、福澤諭吉君、來八月より集會の日を一週一度に改めんことを發言す、陪言なし。
一、宿題の辨駁を始む。
 當今日本より臺灣征討として既に出兵に及びたるが、今日本の有樣を考れば我兵の敗衂すると勝利なると孰
 れが便利なるやの問題(第一法に從て論辨す)。
一、日本政府にて蠶種紙保護のため種々の法を設るは、國の經濟には、便か不便かの問題(第一法に從て論辨
 す)。
一、元來人たる者は唯獨立の活計立て安樂に暮すを以て人たるものゝ責とせず。先づ亞國かく〔革〕命の時の
 人物を見るに、中々辛苦して終に獨立國となれり。今日日本の如き有樣にて學者たるものは、活計安樂等の
 事をすておきて日本國の獨立を計る可きか。又は今日本の有樣は未だ左樣に危急ならず、故に先づ故人若し
 くは三井等の番〔番頭〕にても、給金の高方について錢儲をなし、然る後に國の獨立を計る可きか。
                              以上 松 山 棟 庵演
一、名代に出た人は自己の見込丈けを議論す可きものか。又この人を名代に出せし人民の見込に從て議論す可
 きか。
                              以上 甲 斐 織 衞演
一、小泉信吉發言
 出版社の家を借り此會の講堂としては如何、家賃は六百圓の敷金にてよし云々を演べ、會頭よりも問を掛け
 たけれども、出版社との掛合今一層慥かに極まらざれば決議及び難きに付、取消となる。
一、民間雜誌初編の儲金を此會に寄附すべしと福澤諭吉小幡篤次郎より申入る。可議に決す。
一、十時半散會。
 
   七月四日 第三會 土曜日 雜會
一、此會の座敷借り入に付、世話掛り撰擧の儀發言、衆皆同意にて、左の兩人を選ぶ。但し次會迄に案文を出
 すこと。
                中上川 彥次郎
                甲 斐 織 衞
一、夏中は會日一周〔週〕間一度づゝに改め度發言、衆同意、次會より土曜日の夜と決す。
一、夏中は雜會を一ヶ月一度と改め、第一土曜日を其日と決す。
一、十時半退散。
 
   七月十一日 第四會 土曜日 辨論會
一、會例式目の改正を申し出し決す。(役人任職撰擧の時限、每會出席の時限の差異等)
一、演說所借入案文を甲斐中上川兩人より差出す、衆同意、依て敷金借用の事に選ぶ。
一、出納官小泉信吉、甲記事官中上川彥次郎、鬮引に依て滿期に當る。交代の人左の通り。
                出納官  甲 斐 織 衞
                甲記事官 牛 場 卓 藏
一、國境を廣くすれば國力を増すや否。第一法の辨論あり。
一、學校の功能を擧ぐ可し。第三法に從ふ。
一、十時退散。
 
   七月十八日 第五曾 土曜日 辨論會
一、安藤源五郎君(岐阜縣美濃中嶋郡駒塚村農)入社の入札あり。拒む者多くして事諧(かな)はず。
一、演說所借受の爲、差入れの敷金借用の證文を中上川より會衆に示す。何れも同意。其案文左の通り。
    金子借用證文の事
一、金參百圓(但し通用金)慥に借用致し候事
一、利息は一ヶ月に元金高の百分一と定め、每月末に勘定可致事。
一、返濟の義は明治七年十二月三十一日を限り勘定可致事。
  右爲後日仍て如件     三田演說會代理
   明治七年七月十九日
                                  小 幡 篤次郎
 福 澤 諭 吉 様
 案文前同斷

(「三田演說日記」『慶應義塾百年史』上巻)


 
【付記】福沢諭吉らの唱道により、西欧のスピーチの方法を取り入れた演説会が、明治七年六月慶応義塾大学内の三田演説館で初めて開催された。演説会は演説館開館の日から公開され、社員以外の者も出演できた。その様子を印した「三田演説日記」の一部である。発言の内容以外に会の運営の裏面についてまで書かれている。
 演説会はいつも、次回宿題を設定していた。内容は時事問題を中心に政治談義、学術発表などで、世間の関心を呼び、人々の啓蒙に大きな役割を果たした。
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議題および宿題は左のごとくである。
 明治七年七月一日(辨論會)
  宿 題
 一、臺灣征討の軍の勝敗に依て日本國の得失如何の問。 (實施)
 二、日本政府にて蠶種の保護は國の爲に利か不利かの問。 (實施)
 三、學黌の功能は如何程か、其ケ條は幾何かの問。 (次回の宿題に廻はす)
    次回宿題
    一、當時書生の第一の急務は如何。
    二、今日本の學者たる者、自己の活闘を先きにす可きや、國の活闘を先にす可きや。
 明治七年七月四日(雜會)(雜會は前述のように、おのおの自說を述べて批判をうける定めである。從って辨
            論會の話題が論議されることもあれば、次の宿題が決められることもある。)
   次回宿題
    一、孔子の道は世の文明の爲めになるものか、又は惡敷(あしき)ものか、若し善きものなれば、善き
     ケ條を述べ、惡敷ものなれば、惡敷ケ條を述ぶ可し。
 
明治七年七月十一日(辨論會)
 宿 題
一、我國境を廣大にすれば我國力は盛大になるや否の問。 (實施)
二、學校の利益は何程なるや、且つ利益のケ條は幾何なるや。 (實施)
三、孔子の道は世の爲めに善きか惡きかの問。 (次回の宿題に廻はす)
    (この日は次回の宿題を新たに定めず)
 
明治七年七月十八日(辨論會)
 宿 題
一、學者と政治家との性來如何の問。 (實施)
二、孔子の道文明に益あるや、若益あれば、其ケ條を述ぶ可し。又益なければ其ケ條を述ぶ可し。 (實施)
   次回宿題
  一、留學生を遣すと、教師を招ひて教ゆるとの利害如何。
  二、政府、學校に預るの境界いづくにある。
  三、今日に當て日本の書生何種の書を讀むを以て最も益ありとするか。
  四、文部省に定額百參拾萬、多少如何。
  五、日本の帆前船を西洋の風に習つて造らんと云ふ說は實地に行ふべきや否や。
  六、學校の世話は全く政府に任すべきか。又人民に任すべきか。

(『慶応義塾百年史』上巻)