第一章 總 則
第一條 本會ハ麻布區普通教育ノ普及上進ヲ圖ルヲ以テ目的トス
第二條 本會ハ麻布區教育會ト稱シ事務所ヲ麻布區役所内ニ置ク
第三條 本會ノ目的ヲ贊成スル者ハ會員タルコトヲ得
〔略〕
第二章 事 業
第十三條 本會ニ於テ執行スヘキ事業ノ槪目左ノ如シ
一 小學校及幼稚園ノ事業ヲ援助スルコト
二 學齡兒童ノ就學普及ヲ企圖スルコト
三 通俗教育ニ關スル事業ヲ經營スルコト
四 教育學藝ノ講習會及教員講習會ヲ開設スルコト
五 教育上須要ノ事項ヲ調査スルコト
六 教育上功勞アル者ヲ表彰スルコト
七 兒童ノ學業ヲ獎勵スルコト
八 前諸號ノ外本會ノ目的ニ適合スル事業
〔略〕
通俗講談會 (明治四十一年度)
通俗講談會は本會始めて開催したるものにして明治四十二年三月二十七日午後二時麻布小學校内に於て開催す先つ村松幹事會長に代りて開會の辭を述べ次に辨士金森通倫君は家庭教育及び國民教育てふ演題の下に滔々雄辨を振はれ而かもいと懇切に二時間に亘りて兒童教育上有益なる講話あり聽衆をして感動せしめたり次に文學講談師細川風谷氏の趣味多き武士道講談あり當日の來會者僅かに百名に達せざりしは甚だ遺憾とするところなれども來會者は何れも滿足したる樣見受けられき金森通倫君の演説大要は本編の附錄卽ち是なり
(明治四十二年度)
前年度に於ては、唯一回通俗講談會を開催したりしたが、本年度は二回之を開催したり、其の第一回は明治四十二年十一月十一日、麻中小學校内に於て、東京市教育會と聯合にて開催し、衆議院議員東京市助役田川大吉郎氏は、「子供の地位」てふ演題の下に、家庭教育上頗有益なる講演を、いと懇切に述べられ、講談師細川風谷氏は「天野屋利兵衞」を得意の快辯を以て演し、聽衆を感動せしめたり當日の來會者無慮三百餘名あり。其の第二回は明治四十三年三月五日、同校内に於て開催し、講師江原素六先生は、家庭教育上頗適切なる「家庭の勢力」を講演せられ。例の細川風谷氏は、得意の「倉橋傳助」を演して、數百の聽衆に感動を與へられたり。
(明治四十三年度)
明治四十三年十月二日午後一時より、東京市教育會と聯合して、第四回通俗講談會を飯倉小學校内に開催。松長市教育會幹事開會の辭を述べ、次に下田歌子女史は、「現代婦人の心得」てふ演題の下に時機に適したる有益なる講話を、而かも二時間に亘りて懇切に述べられ、聽衆をして深く感動せしめたり。次に早川貞永氏の「親子二代の名人」といふ趣味多き講談あり。來會者參百餘名、何れも滿足したる樣見受けられたり。
明治四十四年三月十一日午後一時第五回通俗講談會を南山小學校内に開催。村松幹事の開會の辭に次で、佐治實然氏の「完き人となる工夫」の演題に移り、宗教方面より縷々懇切に能辯を振はれ、聽者一同を感ぜしめたり。次に餘興としての、文學講談師細川風谷氏の姨捨山の名刀傳(二代將軍家の物語)、は例の快辨、深く來會者を滿足せしめ。折柄風雨烈しかりし日にも拘らず、來聽者百餘名ありき。
(大正三年度)
大正三年九月二十六日、東町小學校内に於て第一回通俗講談會を開催し、聽衆百餘名左の講演ありたり。
一 最近思潮の一面 境 野 黄 洋先生
二 加藤左馬介嘉明武勇傳 桃 川 如 燕君
大正三年十一月二十日、飯倉小學校に於て、東京市教育會と聯合して第二回通俗講談會を開催し、聽衆約六百名左の興味ある講演ありて、近年稀なる盛會なりき。
一 國勢三轉の說 山 路 愛 山先生
二 柳生但馬守の生立 天 野 祐 明君
大正四年三月二十一日麻布小學校内に於て、第三回通俗講談會を開く、聽衆約二百名にして左の講演ありたり
一 飛行機搭乘青島攻撃實戰談
海軍大尉 和 田 秀 穗君
二 豪傑物語 天 野 雉 彥君
(大正四年度)
大正四年十月三十日、東町小學校内に於て、東京市教育會と聯合して第一回通俗講談會を開催し、聽衆百數十名左の有益なる講演ありたり。
一 家庭改良談 佐々木 吉三郎先生
一 正直と武士道 田 邊 南 龍君
大正四年十一月二日、區役所樓上に於て第二回通俗講談會を開催し、聽衆約百名左の有益なる講演ありたり。
一 御大禮に就いて 池 邊 義 象先生
大正五年六月三日、麻中小學校内に於て、東京市教育會と聯合して第三回通俗講談會を開催し、聽衆約百名左の興味ある講談ありたり。
一 技術と發明 秋 保 安 治先生
一 宮本武藏 細 川 風 谷君
(『麻布区教育会会誌』明四一~大四)