平和青年団海外派遣事業実施状況 |
年 度 | 派 遣 先 | 派遣時期 | 派遣人員 | 備 考 |
昭和六一 | 中国 (上海、蘇州、無錫、南京、北京) | 一〇月 二七日~ 一一月四日 | 一五 | 青年一一 職員 四 |
六二 | 中国 (北京、南京、無錫、蘇州、上海) | 一〇月 一七日~ 二六日 | 〃 | 〃 |
六三 | 中国 (北京、南京、蘇州、上海) | 一〇月 一三日~ 二二日 | 〃 | 〃 |
(港区教育委員会資料)
昭和六十二年度
東京都港区平和青年団中国派遣実施要綱
港区教育委員会
一 目 的
本事業は、港区に在住、在勤の青年が事前研修で平和の必要性を学ぶとともに中国へ派遣し、青年同士の
交流、日本文化の紹介等を行うことにより、中国の青年との相互の友好と理解を促進し、併せて港区の青年
が国際的視野を拡げ、国際協力の精神をかん養し、もって次代を担う青年を育成するとともに、これを契機
に参加した青年が自主的に地域活動に参加することを期待して行うものである。
二 事業の概要
(一) 事前研修
出発前、団員に対しこの事業の趣旨、内容等について理解を深め、必要な知識及び団体活動の基本を習得させる。
事前研修は五回実施する。
第一回 六月十九日(金)オリエンテーション、映画上映、勉強会
第二回 七月 三日(金)広島・中国派遣青年の体験談
第三回 七月 十日(金)映画上映、討論会
第四回 七月十七日(金)講演会
テーマ:「青少年の国際理解と国際協力」
講 師:湊 明 弘
(青少年育成国民会議)
第五回 七月三十一日(金)「被爆体験を聞く会」
語りべ:松 重 義 人
(元中国新聞カメラマン)
(二) 自主研修 四回程度 団員予定者が自主的に行う
(三) 事後研修
ア 感想文を団長に提出 (提出期限十一月三十一日厳守)
イ 広島・中国派遣青年による座談会 (十二月中旬予定)
エ 参加団員により記録集を作成し、団長に提出
(四) 派遣の時期及び期間の予定
昭和六十二年十月中旬の十日間
(五) 訪問国及び訪問都市の予定
中華人民共和国 (北京、上海、南京等)
(六) 交通機関
航空機
ただし、中国国内での移動は、バス、電車、航空機等
(七) 現地での活動
現地青少年等との文化の紹介、施設見学等を通じ、交流を図るとともに中国の歴史的遺産等を視察する。
三 構 成
派遣団は、団長、副団長、庶務団員各一人、一般団員十二人(うち一人は青少年委員とする)で構成する。
四 構成員の任務及び選任等
(一) 任務
(団 長)団長は、団を代表し、団員を指導し、統括する。
(副団長)副団長は、団長を補佐し、団長に事故あるときは、その職務を代行する。
(庶務団員)庶務団員は、団の庶務を担当する。
(一般団員)一般団員は、団体行動の下に、研修や訪問国での活動を行うため、団務を分担する。
(二) 選任等
ア 団長は、区の職員等の中から区長が選任する。
イ 副団長、庶務団員は、教育長が教育委員会事務局職員の中から選任する。
ウ 一般団員は、別に定める募集要領により選考し、教育長が決定する。
エ 団員として、不適当と認められた者について、出発前においては団員の資格を教育長が取り消すこと
ができる。出発後においては団長が資格を取消し、速やかに帰国させるものとする。
五 経 費
本事業のための経費は、原則として区が負担する。ただし、次の経費については、参加者の個人負担とする。
(一) 参加者負担金 十万円程度
(二) 事前研修、自主研修、事後研修に参加する旅費、食事代
(三) 成田空港までの往復車賃等
(四) 旅券発行手数料、旅行保険料、空港使用料等
(五) 疾病又は、障害の治療費用
(六) 小遣い、その他個人の用に必要な経費
(七) 出発後団員の資格を取り消された場合の帰国に要する経費
申込み、問合せ―――港区教育委員会 社会教育課 青少年係
友好の絆さらに強く
―港区平和青年団中国派遣終る―
去る十月二十七日から十一月四日にかけて、港区平和青年団が中国に派遣されました。
この事業は、「国際平和年」を契機に、広島派遣事業とともに平和関連事業の一環として計画されたものです。
日本と中国は、一時期を除き、長い歴史の中で、常に友好関係を保持する努力が重ねられてきました。二十一世紀を担う青年が、中国の青年と直接を話し、日本文化の紹介や、中国文化を理解することにより、友好の絆が更に強く結ぼれることを期待して、実施されたものです。
青年団は、上田次長を団長とし、区内在住・在勤の青年十一名、青少年委員一名、区職員二名の合計十五名で結成され、十月二十七日朝、成田を発ち、空路上海へ向いました。
中国での訪問都市は、上海、蘇州、無錫、南京、北京の五都市で、八泊九日のハードスケジュールでした。
現地での行動は、当日になって初めてその日のスケジュールが判るといった状況で、日本の国内旅行に比べ、先行に不安が伴うものでした。しかしながら現在中国は、巨大な国土と人民をいかに効率的、近代的に活用するかが至上命題であり、今その取り組みを進めている最中であり、近い将来には旅行等の問題も改善されるであろうと期待しつつ納得しました。
上海、南京では、少年宮や幼稚園、小学校を訪問しましたが、施設の関係者や子どもたちが、本当に暖く迎えてくれました。特に子どもたちが、何のこだわりもなく私達に接してくれたことには、こちらがとまどうぐらいで、青年達もびっくりしたり、感心したりでした。そのような雰囲気の中で、青年達は交流を深めることができました。
また、一行は、南京市を訪問した際、南京大虐殺記念館を見学しました。昭和十二年十二月日本軍が南京城に突入した時に起こったいまわしい事件でしたが、そこで青年団は献花をし、受難者の冥福と世界平和を祈念し、黙禱を行いました。
〔略〕
青年達も、自分達が中国訪問で見たこと、聞いたこと、体験したことを通して、日中友好の大切さ、延いては世界平和の大切さを深く心に刻んで帰ってきたことと思います。このことを、それぞれ学校、職場、地域の活動の中で生かしてくれることを期待しています。
(港区教育委員会報『ひろば』昭六一・一一)
【付記】昭和六十一年の「国際平和年」を契機に区内在住在勤の青年の中から平和青年団を結成し、広島の原爆記念行事への参加と日中友好のための中国訪問を実施した。その後、国内は広島のほかに長崎を加えるとともに海外は、東南アジア、オーストラリアにも派遣するようになった。