慶応義塾

   開業願
  教 則
一 教授ノ法ヲ正則ト變則ト二樣ニ分チ其規則左ノ如シ
    正則科
一 學業ノ年數ヲ七年ト爲ス内三年ヲ豫備等トシ四年ヲ本等トス
一 一年ヲ分テ三期ト爲ス第一期ハ八月下旬ニ始リ十二月下旬ニ終リ十七週日第二期ハ一月上旬ニ始リ四月中
  旬ニ終リ十四週日第三期ハ四月下旬ニ始リ七月下旬ニ終リ又十四週日ナリ
  〔略〕
一 教師ハ生徒ノ暗誦ヲ聞其甲乙ヲ定ム
一 等外教師ノ法プライマリー、リードル、及第一リードル、ハ暗誦セシムルコトナク素讀ノミヲ傳ヘ時々盤
  上ニ既ニ讀タル語ヲ記シテ其譯ヲ答ヘシメ或ハ譯ヲ記シテ英語ヲ答ヘシムル等都テ生徒ニ英語ノ譯ヲ覺ヘ
  シムルヲ主旨トシ第二リードル、ニ至リテハ講義ヲ爲シ或ハ時々生徒ニモ讀マシメ英書ノ讀方ヲ知ラシム
  ルヲ要スプライマリー文典、中等地理書、究理初歩ハ今日講釋シテ明日コレヲ暗誦セシム數學プライマリ
  ー、ノ間ハ勘定稽古ヲ重モニ教ヘ、ロジメント、ニ至リテハ業及義理ヲ精シク理解セシムベシ
一 豫備等ノ教授ハ、リードル、ヲ誦釋シテ時々生徒ニモ讀マシメ諸歷史、究理書ハ今日講釋シテ明日生徒ニ
  暗誦セシメ其他ハ皆講釋スルコトナリ唯暗誦セシムルノミ數學ハ規則等ヲ暗誦セシメ業ハ生徒ヲシテ順番
  ニ盤上ニ記サシメ他ノ生徒ヲシテ其當否ヲ論セシムベシ
一 本等ノ教授ハ全ク講義ヲ用ルコトナク唯日々生徒ヲシテ暗誦セシムルノミ
一 生徒ハ必ス稽古時限ノ五分前講堂ヘ出席シ位置ヲ正シクシテ教師ノ出席ヲ待ツヘシ稽古ノ間ハ必ス其席ヲ
  去ルベカラス
一 每日受業ノ書ヲ暗記シテ教師ノ問ニ答フベシ假令自身ノ番ニ非ルモ能心ヲ用ヒテ他人ノ答ヲ聞、務メテ讀
  タル書ヲ忘レザル樣心掛ヘシ
一 リードル、ハ都テ暗誦スルコトナリ唯讀方解シ方ヲ會得スルヲ主トス
一 每月末其月中讀タル部分ノ吟味ヲ爲スベシ
一 各期末其期中ニ讀タル部分ノ吟味ヲ爲スベシ
一 每年第三期末前年中讀タル書ノ大試業ヲ爲シ記臆宜シカラサル者ハ級ヲ進メス再度同級ノ業ヲ受ケシムベシ
一 每日曜日ニハ平日ノ業ヲ休ミ朝第八時ヨリ第十時迄ノ間都テノ生徒ニ修身ノ道ヲ教授ス此教授ニ缺席スル
  者アラバ直ニ退社セシムベシ但シ去リカタキ故障アリテ缺席スルモノハ必ス其用事ノ趣ヲ精シク記シタル
  書付ヲ校務掛ニ出シ其許可ヲ受クベシ
一 生徒故アリテ定課ノ内一二ノ業ヲ缺ク願フトキハ必ス其父兄或ハ隣人ヨリ差支ノ趣ヲ精シク斷リ其上ニテ
  生徒ノ年齡及其缺ント欲スル業ニヨリテハ塾ニ任スベシ尤此類ノ人ハ格外ノ生徒ト名テ定級ノ外ニ置クベシ
  〔略〕
    變則科
一 變則科ヲ學フ者ハ滿十七歳以上ニ限ル
一 教授ノ法ハ專ラ讀方及譯ヲ覺ヘシムルヲ主旨トシ其時間ハ等級ニ由リ三時乃至二時間トス尤學期年限等ノ
  定リナシ其讀本ハ凡左ノ如シ
    リードル 文典 地理書 究理書 歷史
    修身論 經濟書 等
一 右條々ノ外大槪正則科ノ規則ニ照準ス

(都公文書館資料)


 
【付記】福沢諭吉は安政五年築地鉄砲洲に蘭学塾を開き、文久三年英語塾に転向する。慶応四年芝新銭座に移転、慶応義塾と改名した。明治四年三田に移転。明治六年学課を整備し、正則・変則両科を新設した。掲載した資料は明治六年四月開業届より抜粋したものである。