私儀
今般高等女學校令ニ據ル高等女學校設置致度候ニ付別紙關係書類相添ヘ此段及申請候也
昭和十六年二月三日
東京市芝區高輪南町三十三番地
設立者 男爵 森 村 市左衞門 印
文部大臣 橋田 邦彥殿
一、目的 本校ハ高等女學校令ニ準據シ女子ニ須要ナル高等普通教育ヲ施シ特ニ國民トシテノ自覺ヲ高メ母性
ノ存養婦徳ノ涵養ニ力ムルヲ以テ目的トス
二、名稱 森村高等女學校ト稱ス
三、位置 東京市芝區高輪南町五十五番地ニ置ク
設立趣意書
今般高等女學校ヲ設立セントスル敷地(芝區高輪南町五十五番地)ニハ明治四十三年先代ノ創立ニ成ル私立南高輪尋常小學校(校舍ハ元芝區高輪南町三十三番地ニ在リシガ昭和五年現在地ニ新築移轉ス)アリ
昨年創立三十周年ヲ迎フ、先代ハ初等教育ノ最モ切要ナルヲ認メ幼稚園ニ併セテ小學校ヲ設置スルニ至リシガ他方ニハ亦女子教育ノ忽ニスベカラザルヲ痛感シ明治八年三月女工場(今日ノ女學校)ヲ開設シテ和洋裁縫及ビ讀・書・算ヲ教授セリ女工場ハ數年ナラズシテ之ヲ廢止スルノ止ムナキニ至リシト雖女子教育ニ對スル關心ハ依然トシテ棄テ難キモノアリ、成瀨先生ヲ授ケテ日本女子大學ヲ創設セシメタリ。今ヤ時勢ノ推移、思想界ノ變動ハ國民ノ一半ヲ成ス女子モソノ分ヲ盡クシテ國ニ奉仕スル自覺ヲ喚起スルノ要、一層切ナルモノアルニ至レリ 而シテ女子ノ國ニ奉仕スル道ハ我ガ國ノ體制上家ヲ通ジテ行ハルルヲ常道トスベク國ニ連ナル家ヲ齊フルハ正ニ皇國女子最高ノ務ナルベシ コノ務ヲ全ウセシムルニハ我ガ國體ヲ明徴ニシ皇國ノ使命ヲ體認セシメテ母性ノ存養婦徳ノ涵養ニ力メ心身ヲ一體トシテ知行ノ一致ヲ期シ、スベテノ教育作用ヲ國民的性格鍊成ノ一途ニ歸セシメザルベカラズ、カカル觀點ヨリスルトキハ、今日ノ女學校ニ於ケル教育ニハ未ダ遺憾ノ點ナシトイフベカラズ、コレ先代ガ、女子教育ニ關心ヲ有スル遺志ヲ繼承シ、幼稚園、小學校創立三十周年記念事業トシテ右ノ趣旨ニヨル高等女學校ヲ設立シ完成教育トシテ國民生活上女子ノ分野ニ卽應スル資質ヲ啓培シ眞ニ皇國女子トシテノ務ヲ全ウセシメンコトヲ期シ以テ聯カ世ニ寄與セントスル所以ナリ、
〔略〕
東普一八四號
財團法人 森 村 學 園
昭和十六年二月三日申請森村高等女學校設置ノ件認可ス
昭和十六年四月二十五日
文部大臣 橋 田 邦 彦
(都公文書館資料)
【付記】現在の森村学園中等部・高等部。昭和五十三年横浜市緑区長津田町二六九五(現在地)へ移転した。