見る・知る・伝える~港区教育アーカイブ~ > 子どもたちの学びの歴史 > 標準服・運動着
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「西洋前掛」は、明治30年(1897)ごろから大流行した子ども用エプロンのことです。この時代、普段着は洋服よりも和服がメインでした。そのため、西洋前掛という名称ですが、洋服ではなく和服の上に着用していました。
西洋前掛は、最初は衣服の汚れ防止のために使われていましたが、徐々に装飾性を帯びていきます。明治38年(1905)に刊行された『婦人とこども』には、多くのフリルが付けられた西洋前掛が、直線的な裁断と簡単な裁縫でできることが記されています。
さらに大正時代に入ると、デザインに変化が生まれます。やがて、レースやタックの装飾が減り、シンプルなものに変わっていきました。
西洋前掛の流行は、大正10年(1921)ごろまで続きました。雑誌の表紙や挿絵にも描かれるほどの人気で、西洋前掛を付けている当時の記念写真も数多く残っています。
学校の校庭に、袴姿の女児が大勢いる写真があります。袴姿で運動をしていたのは、いつごろなのでしょうか。
明治15年(1882)に刊行された書籍には、女児が着流し姿(帯のみで、袴や羽織のない和装)で、舞踊教育を受ける絵画が載っています。このころは、女性が活発に運動する必要性が認められていませんでした。明治20年代になると、着流しと袴の両方の女児が混在します。靴を履いている子も数名見られます。そして、明治32年(1899)の高等女学校令発布以後に服装改良の機運が高まり、袴・靴というスタイルが定着しました。
袴は、幅広の帯で体を締め付けることがありません。着物の裾の乱れを気にせずに足を動かせます。着流しよりも、かなり活動的な服装になりました。それから今のような洋式の運動着に変わったのは、20年以上あとのことです。それまで何種類かの運動着が日本に入ってきましたが、定着には至りませんでした。日常着ている衣服の洋装化すら進んでいない当時、運動のときだけ洋服にするのは難しかったのです。しかし、大正10年代になると、関東大震災を契機に洋装化が進みました。このころからスポーツの競技性も高まりました。その中で、より活動的な衣服が求められるようになり、洋式の運動着が導入され、現在に至っています。
右の写真は、青南小学校で使われていた通学用のかばんです。肩にかけるタイプで、中央に桜の形をもとにした校章が入っています。ランドセルと併用していたのかは不明ですが、青南小学校に展示されている説明文によれば、昭和57年(1982)まで使われていたことがわかります。
現在使われている皮革製のランドセルは、明治20年(1887)の大正天皇の入学祝いに、伊藤博文が箱型の通学かばんを献上したのが始まりともされています。その後、形状や寸法が決められていき、大正3年(1914)のあんパンが1銭で売られていた時代に、1円50銭で販売されていました。当時、一般の小学校では教科書や学用品の量も少なく、高価なランドセルを学校に背負ってくる児童はほとんどいませんでした。
資料には、大正時代の麻布小学校(当時の麻布尋常小学校)のかばんと校帽の写真もあります。かばんには葉が、校帽には学校名の頭文字AやSをかたどった旧校章がつけられています。
手をあげている大勢の子どもたちがいます。これは、大正13年(1924)、多摩川近くでの水泳指導の様子です。よく見ると、水着がしま模様だったり、ラインが入っていたり、それぞれの子が違うものを着ています。このころ、とくに決められた水着はなかったことがわかります。
日本は、江戸時代に各藩の武術に水泳が取り入れられ、全国各地にさまざまな泳法が存在するほど、水泳の盛んな国でした。戦後は、昭和22年(1947)に学校体育指導要綱が定められ、小学校・中学校・高等学校の体育科に水泳が位置づけられます。さらに、昭和43年(1968)の学習指導要領の改訂では「体力の向上」が強調され、水泳がこれまで「その他の運動」とされていたのに対し、「主要な運動」と明記されるようになりました。この時期から、急速に学校プールが建設され、本格的な水泳指導ができるよう、教員向けの講習会なども盛んに行われました。
そして、水着も、教育にふさわしい形状や機能が求められ、徐々に現在のような形になりました。
中学校の標準服はどのように決められ、変化してきたのでしょうか。なかには、生徒や保護者の意見を聞いた学校もありました。昭和47年(1972)、御成門中学校では、生徒や保護者に標準服についてのアンケートをとっています。「標準服はあったほうがよいか」という質問に対し、男子65%、女子80%が「はい」と答えています。「どんなデザインがよいと思うか」では、男子が「現在(の標準服)」36%、「ブレザー」42%、「背広」15%、「その他」7%、女子が「現在(の標準服)」9%、「ブレザー」37%、「セーラー」49%、「その他」5%という結果になりました。
また、資料では、先生と保護者で検討が行われた旧朝日中学校の事例も紹介しています。同校では、平成8年度(1996年度)の1年生から新しい標準服に変わりました。「儀式でも着られるタイプのものにする」「港区内の他校とちがう色・形にする」などの問題について、何回も検討しながら標準服を決めています。平成25年(2013)には、港南中学校で女子の標準服にズボンを導入したいという新しい要望も出されました。白金の丘学園では、平成27年(2015)4月の開校に向けて標準服の検討を行いました。そもそも標準服を導入するべきかどうかという話し合いにはじまり、アンケート、書類審査、保護者へ説明会などの経緯を経て決められました。生徒や保護者の意見に耳を傾けながら、時代に合わせた標準服づくりをしていることがわかります。