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昭和15年(1940)は、神武天皇が即位した年を元年として「紀元2600年」にあたる年でした。
この年は、日本政府が記念行事を計画・実施しました。同年11月には「紀元二千六百年式典」が開かれ、お祝いの花電車数台が都内を走りました。ちょうちんや赤・黄色の電球を灯(とも)した華やかなものです。そのときの賑やかな様子が、次のように児童の作文に残っています。
「…お兄様が『もっとのろくしてくれ。』と叫んだ声が、みんながやがや言っている声の中から聞こえた。しかし電車は同じはやさで通り過ぎて行く。あとはのこりの1だいだ。やがて五だい目の電車は、僕たちのすぐ前に来た。…」(原文を現代仮名遣いに修正)
学校でも様々な取り組みが行われました。旧氷川小学校(当時の氷川尋常小学校)では記念樹が植えられたり、また、白金小学校(当時の白金尋常小学校)では国旗掲揚塔が作られたりしました。
高輪台小学校(当時の高輪台尋常小学校)や白金小学校では、児童の作文等を集めた記念誌が発行されています。
大正12年(1923)9月1日、死者約10万5千人におよぶ関東大震災が起こりました。「人々はひどく驚いたせいか、ふるえている。大人が子供の下駄をはいたり、子供が大人の下駄をはいたりしている」と、ある児童は作文に書いています。
旧桜川小学校(当時の桜川尋常小学校)は、地震後の火災で全焼しました。べつの児童の作文には「僕の家も公男さんの家も丸焼けになったが、幸い一人の負傷人も無く皆無事であった。翌朝、桜川小学校の焼跡に行って見た時僕はただぼんやりと立ちすくんでしまった」「のこりの木片からはきな臭い煙が盛んに出ていた」と書かれています。(原文を現代仮名遣いに修正)
学校の跡地には小屋が建てられ、被害にあった人々のための仮設住居になりました。桜川小の子どもたちは学校へ通えなくなり、近くの小学校などの4か所に分かれて授業を受けました。旧桜田小学校(当時の桜田尋常小学校)も、校舎は倒壊しなかったものの、午後8時ごろに全焼しました。その後、建てられた仮設の校舎で旧南桜小学校と半々にして、午前と午後などの二部授業を行いました。