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港区の教育史

港区 学校給食のあゆみ

出典:昭和21年~昭和62年 『港区学校給食のあゆみ』(1988年刊行)  
        昭和63年~平成31年 『港区の教育 令和元年度版』(2019年刊行)

関連資料:【くらしと教育編】第6章 学校給食のはじまり »

年号 港区学校給食のあゆみ 学校給食年表 食の情報
昭和21年

12月 連合軍司令部から給食物資が放出され、白金、氷川、檜町3小学校がミルク給食開始。

12月21日 文部、厚生、農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が通達され、戦後の新しい、学校給食が開始された。
12月24日 千代田区立永田町小学校で連合軍司令部より給食物資(ララ物資……アジア救済委員会寄贈食糧品)の贈呈式あり。

東京、神奈川、千葉三都県で25万人に対し試験給食(補食給食)を開始。

ララ物資の受領

いも、味そ配給
成人一人あたり一日のカロリー摂取量1,200(必要量の半分)

昭和22年

1月 桜川小学校外11校が給食開始(週4回)、脱脂粉乳や味噌汁だけの給食で食糧不足から児童を救済する補食給食のみであった。

1月、戦後来日したアメリカ教育施設調査団の報告がきっかけとなり、脱脂粉乳を中心とした学校給食が始められた。(港区立竹芝小)

トラックで運ばれてきた給食物資を各当番校の調理員が受けとりに集まり、分配した。(港区立竹芝小学校)

味噌汁だけでもうれしそうな子供たちの笑顔です。(港区立赤羽小学校)

全国都市の児童約300万人に対し学校給食開始。
六・三制新学制発足
財団法人日本学校衛生会学校給食事業部発足、学校給食物資を文部省に代って取扱うことになる。

学校給食記念日を設定する。

昭和23年

11月 港区教育部が発足、教育課初等教育係が給食事務開始。

教育委員会発足

12月24日 学校給食記念日を設定する。

主婦連結成、ミキサー登場
種なし西瓜の栽培に成功
サツマイモ自由販売となる。
台湾バナナ、戦後初輸入。
バヤリースオレンジジュース発売。

昭和24年

10月 ユニセフから脱脂粉乳の寄贈をうけ、ユニセフ給食開始。

ユニセフ物資により、全国55校(都内4校)が指定され、完全給食実施、脱脂粉乳1日100gが配給される。

昭和25年

4月 都学校給食会が、主としてパン、ミルクの供給開始。

7月 桜田小学校外7校が完全給食(週5回)実施。パン、脱脂粉乳、おかずの型態であり、パンは原料小麦粉100gの大きさでカロリーを充足させた。

4月 東京都学校給食会が給食実施学校を会員として結成。

8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉による、はじめての完全給食を開始。(都は23区のみ)
財団法人日本学校給食会認可

ヤクルト登場、戦後発のカルピス登場。
ポテトチップ製造発売。
味そ・しよう油自由販売。

昭和26年

2月から完全給食が全国市制地に拡大実施、27年4月に至り全国すべての小学校を対象に実施。

講和条約成立、給食用物資の財源であったガリオア資金が打切られ、国庫補助による継続要望が全国運動として展開。
小麦粉・ミルクが全額国庫負担となる。

9月、数奇屋橋畔(今は公園になっている)。学校給食打切りの命が出され、関係者による給食継続の署名運動が必死に行なわれた。

日本生活協用組合連合会結成。
民営の米屋が復活。

昭和27年

11月 港区教育委員会が発足、学事係にて学校給食事務を行う。
逐次完全給食が実施された。

小麦に対する半額国庫補助開始。(30年度まで)
日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務開始。
第1回東日本学校給食研究会が東京都で開催。

3月 文部次官通達116号)「昭和27年度の学校給食実施方針」が出され、この中で「学校給食は教育計画の一環として実施する」ことがはじめて明らかにされた。

脱脂粉乳、10月に有償となる。

魚肉ソーセージ生産開始。
砂糖の統制の撤廃。
供出が済んだ残りの米、自由販売となる。
放射能マグロが問題となる。
給食費がかかるので、多くの学校で給食が中止される。

昭和28年

6月1日から学校給食用小麦粉にビタミンB1・B2の強化を実施。

昭和29年

6月3日 第19国会で「学校給食法」成立、公布される。同年中に施行令、施行規則、実施基準等が定められる。学校給食の実施体制が法的に整う。

6月18日、日比谷公会堂。学校給食法が制定され、新しい給食への幕あけとなった。

マーガリン売り出す。

昭和30年

8月8日 「日本学校給食会法」が公布される。(10・1施行)

森永粉ミルク中毒事件発生。

昭和31年

3月30日 「学校給食法」一部改正、同法が中学校にも適用され、準要保護児童に対する給食費補助が規定される。

6月20日 「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」公布される。

小麦粉補助100g1円となる。

自動電気炊飯器登場。

昭和32年

1月 高輪台小において、PTA寄附によるパン焼き釜を設置、校内給食パン工場を開始。

東京都学校調理士会が結成される。
給食費補助を中学校までに拡大する。
国の補助により、はじめて牛乳の給食への供給が行われる。
財団法人東京都学校給食会設立。

昭和33年

10月1日 文部省告示をもって、学習指導要領が改訂され、学校給食が初めて、学校行事等の領域に位置づけられる。

学校給食栄養所要量の基準が改訂される。

インスタントラーメン誕生。
西洋野菜の需要ふえる。

昭和34年

6月12日 インドネシア共和国のスカルノ大統領が麻布小の給食状況を参観した。

スカルノ大統領(インドネシア)麻布小訪給食参観

11月6~7日 学校給食発祥の地である山形県鶴岡市で学校給食70年記念行事が行われる。

森永が日本で初めてインスタントコーヒーの製造販売を開始。

昭和35年

幼稚園におけるミルク給食はじまる。
地方公付税に給食調理員が標準施設で3人が積算される。

日本酒の公定価格廃止される。
コカコーラ輸入自由化される。

昭和36年

3月11日 東京都給食コンクール一位に入賞(都体育館にて)

全国学校栄養士協会が結成される。

昭和37年

学校給食栄養所要量の基準が改訂される。小学校で給食低高二本立となる。小麦粉にビタミンA強化。
「学校給食指導の手びき」小学校編刊行される。(文部省)

中学校のミルク給食
東京都は中学校完全給食切り替えの予算要求を打出していたが、国会では、一夜にして40億円の中学校ミルク給食予算が組込まれ、この年、ミルク給食論争の火ぶたがきられた。脱脂粉乳の栄養効果を説く栄養士と、政策批判の日教組とのかみ合わない議論にふりまわされながらも、生徒の栄養補給と安価なカルシウム源としてのミルク給食実施に取り組んだ時代でした。
脱脂粉乳反対の火の手は、国内産牛乳供給への強力な働きかけへと変化し、40年には牛乳供給へと発展していった。

特選米の出現
物価急上昇

昭和38年

11月30日 高輪台小パン焼釜、区に移管される。
11月 区内中学校の体位向上をはかるため、中学校におけるミルク給食推進のため、芝小学校給食室施設設備を教育長外教委職員、中学校長12名給食主任12名及び中学校PTA会長外23名が視察し、ミルク試飲会を開催し、成長期に必要な良質たん白質カルシウム、ビタミンB2が豊富に含まれていることを強調し、ミルクに対する理解を深めた。

都内中学校のミルク給食を開始。
ソフトスパゲッテイ式めんが学校給食に採用。

4月 脱脂粉乳に対する国庫補助が実現し、ミルク給食全面実施が推進される。

国庫補助額100gにつき4円。

コーンフレーク日本上陸。
インスタントプリン登場。
果実酒の自家製造が自由となる。
脱脂粉乳によるミルク給食是非論争がおこる。

昭和39年

3~4月 港南、高陵、赤坂、高松、朝日、芝浜、港、北芝、三河台、愛宕、城南、青山各中学校の順にミルク給食開始。
学校栄養職員設置費の補助制度が設けられ、区内5校に栄養職員が配置された。

共同調理場の施設設備費並びに学校栄養職員の設置費について補助制度が設けられる。
地方交付税法の一部改正により学校の給食調理従事員が標準規模で4人に積算された。
学校給食法施行規則の一部改正、学校給食の種類、即ち従来の型が変更された。

ビール、洋酒類が25年ぶりで自由価格となる。
2ドア冷凍冷蔵庫、家庭用電子レンジ発売。
厚生省、殺菌剤としてA・F2を許可。

昭和40年

5月 芝浜中学校が完全給食実施校として第一歩をふみ出す。

給食配膳車 赤羽小

4月 都で中学校完全給食が開始される。

中学校完全給食開始 39年度予算で、40年度実施。初年度、全都で17校が実施。都は5ヶ年計画で予算計上を打ち立てた。「学校給食30年」から

中学生の食欲は旺盛です。

牛乳の年間供給開始、供給型態ビン入牛乳180c.c.、供給価格11円25銭畜産振興事業団補助金180c.c.につき5円となる。

給食配膳車 赤羽小

昭和41年

1月 港南、3月 青山、12月 港、各中学校完全給食実施。
4月 港区学校給食協議会を設置し、学校給食に関する研究調査をすることになる。
区内の児童生徒が同じ献立による食事を摂ることにより給食に対する共通の理解を深め、また給食費も統一、更に共同献立を開始した。

12月 「学校給食用物資の共同購入促進について」文部省体育局長から都道府県教育長へ通達が出される。

昭和42年

3月 三河台中学校完全給食実施。

完全、補食給食あわせて100%になる。

昭和43年

3月 城南中学校完全給食実施。

小学校学習指導要領改正、学校給食は「特別活動」の「学級指導」に位置づけされる。
地方交付税の教育費関係の単位費用の改訂により学校給食関係の積算内容に小学校調理員が常勤4人となる。

冷凍ライス登場。

昭和44年

9月 御成門中学校完全給食実施。

中学校学習指導要領改正、学校給食は「特別活動」の「学級指導」に位置づけられる。
都において学校給食栄養基準量の標準を定める。

牛乳のPCBによる汚染が問題化する。

昭和45年

9月 高陵中学校完全給食実施。

牛乳の飲用量1人180c.c.から200c.c.に改正される。
同月、学校給食用牛乳の国の補助金が200c.c.あたり5円から5円80銭となり、都の補助金もあらたに1円つけられる。
米利用実験指定校、米粉混入パン実験施校、米加工利用校により学校給食における、米飯等米加工品の利用実験開始。

家庭用ガス湯沸器急激に普及する。
自動販売器氾濫(100万台突破 半数は東京)
カドミウムによる汚染米が問題化する。

昭和46年

5月 赤坂中学校完全給食実施。

7月15日 高輪台小パン焼釜新たに買替え。

「所要栄養量の基準の改訂」文部省告示。
所要栄養量の基準の改訂に伴ない「学校給食の食事内容について」体育局長通知により標準食品構成表が示される。
学校食堂施設設備補助が開始。
中学校学習指導要領実施する。
都は野菜果物洗いに中性洗剤を使用しないことについて方針を打ち出す。

マクドナルドハンバーガー上陸する。
グレープフルーツ自由化される。

昭和47年

9月  朝日中学校が完全給食実施、これで区立小中学校全校実施となる。

日本調理師会(調理技術の自主的な研究団体)発足。

昭和48年

5月、野菜洗浄の中性洗剤が使用中止となった。ABSは追放され、アルコール系洗剤が使用され始めた。

都はAF2について「疑わしきは使用せず」の考えからAF2無添加食品を使用するよう通達する。
完全給食の実施率100%

石油ショック・モノ不足・値上がり
繁栄の昭和元禄から耐乏の時代へ
アラブ諸国とイスラエル間の第4次中東戦争の始まった48年10月6日以来、アラブ産油国は、各国の対イスラエル政策に圧力を加えるため、石油供給削減の石油戦略を行使、石油依存の強い日本はその影響をまともにかぶり、経済的に大打撃を受けた。いわゆる石油危機の到来である。

物価狂乱
石油危機でたちまち物価は高騰、この機を逃がすまいと商社の買い占め、売り惜しみが続き、国民は値上がりとモノ不足に頭を痛め、買いだめパニックが生じた。11月、各地で品不足のトイレット・ペーパー、洗剤、砂糖に長い行列、売り切れが続出した。物価狂乱は学校給食をも圧迫し、各区で給食費の補助予算の獲得対策に大わらわだった。


じゃがいもに放射線照射が許可される。

昭和49年

9月~50年3月 学校給食用牛乳が年度途中で一本当り4円53銭値上がりしたため、年度内の給食費の中で処理が困難となり、港区生活安定緊急対策事業の一環として、牛乳一本200cc当り、4円53銭と補助保護者負担額16円37銭、都補助金3円、畜産振興事業用補助金5円80銭、計29円70銭となる。

4月 学校給食用牛乳都の補助金が200c.c.あたり1円から3円となる。

6月 学校栄養職員が制度切替えにより県費負担職員となる。
給食業務を民間委託する自治体出る。

9月 全国栄養士協議会が社団法人となる。

昭和50年

給食調理業務職員の労働安全の確保と健康障害防止を目的として「東京都港区立学校給食事業安全管理者等設置規則」が施行(10月1日施行)委員会設置

4月 給食用小麦粉品質規格の一部改正が行われたが、5月頃L-リジン強化の必要性、安全性をめぐり論議が提起された。

12月 ポリプロ製食器の酸化防止剤BHTの毒性が問題となる。

冷凍ごはん月50万食を販売(大部分は学校給食用)する。

昭和51年

3月 学校給食に理解を深めるため、栄養職員全員による「港区における児童・生徒の学校給食と家庭への食事の状況を考える」をテーマに、2年間にわたり、調査研究をし集計、日本栄養改善学会に研究発表した。

4月 学校給食制度上に米飯が正式に導入される。

学校給食会で輸入牛肉を取扱う。

昭和52年

都ポリプロピレン問題調査専門委員会は51年度に安全性が問われたポリプロ製食器酸化防止剤BHTの毒性について、人体に影響を与えることはないであろうと答申を衛生局長に出す。

7月23日 小学校、中学校の「学校指導要領」が告示され、小学校が55.4.1から中学校は56.4.1からそれぞれ施行されることになった。

学校給食30周年記念式典が東京都で開催される。

昭和53年

4月 栄養所要量の新標準による給食を実施「学校給食共同献立表」を「学校給食標準献立表」に給食協議結果を基に改め、内容の充実を図る。

ドライシステム調理場試行される。
学校給食用牛乳の都の補助金(3円)が打ち切られる。
都栄養所要量新標準を実施する。

自然食品、無添加食品が注目を集める。
持ち帰り弁当店が登場する。

昭和54年

日本学校給食会と日本学校安全会の統合が閣議決定する。

LL牛乳(ロングライフミルク)出回る。
キュウイフルーツ家庭へ進出。
日本型食生活の論議さかんとなり、見直される。
朝食重要視される。
食事の洋風化に伴ない乳がん増える。

昭和55年

2月 学校における合成洗剤使用状況の調査。

3月 有リン洗剤の購入の禁止。

4月 学務課に新しく保健給食係が設けられ、学校保健.学校給食事務を係長以下4名が担当となる。

4月 学校、病院、事業所等の都施設で有リン合成洗剤の使用を中止する。

5月 学校栄養職員の定数改善に関する12年計画が始まる。

中華野菜大衆化する。

昭和56年

11月 「港区学校給食改善協議会設置される(56.11.27 57.3.31) 56発教学第694号

学校給食用牛乳国の補助単価200c.c.あたり5円80銭から5円20銭に改められる。

昭和57年

3月31日 第1回改善協議会報告が提出される。

7月 「港区学校給食改善協議会」設置(57.7.10 58.3.31) 57港教学第374号
8月 食品、食器の安全衛生講習会(啓もうを目的)パネルデスカッション「石けん洗浄の実際」(東町小にて)

9月 「パンの改善、並びにおかずとの関わりにおける米飯検討委員会」設置(昭和56年度港区学校給食改善協議会の提言に伴う)

6月 日本学校健康会法が公布、施行される。

日本学校健康会設立
新教育課程では、特別活動の一環として教育的位置づける。
学校給食用牛乳国の補助単価が200c.c.あたり5円20銭から5円となる。

昭和58年

3月31日 第2回(56年度改善協議会報告に引き続く)報告が提出される。
3月 「パンの改善並びにおかずとの関わりにおける米飯検討委員会」報告が出る。食事内容の向上と、米飯給食の必要性を確認。

7月 「学校給食標準献立委員会」設置~目的、1.「学校給食標準献立表」の作成者の明確化、2.給食指導、調理作業の意見聴取、3.各学校の主体性、自発的創意が生かされる標準献立を作成する。

3月 臨時行政調査会が特殊法人補助金等の整理、合理化等について第5次答申(最終答申)を行う及

12月 東京都学校給食会パン検討委員会が学校給食用パンの望ましいあり方について答申する。

昭和59年

3月 米飯給食月1回の試行として開始(桜川、芝、南海、青山各小学校)学校給食会精米使用、学級単位を基本として、丸型ガス炊飯器により実施。
3月 米飯給食月1回の試行開始(青山小)。

59年3月 学級単位にガス炊飯器により実施(青山小)

米飯給食風景(青山小)59.3月

4月 米飯給食試行校追加(港南、青南小、港、朝日中)

5月 学校給食用木製はし溶出物の衛生試験実施。(素材・ビリアン)

8月 米飯給食試行における使用米の臭素定量試験実施。

11月 米飯給食試行校追加(桜、鞆絵、飯倉、赤坂各小)

12月 米飯給食試行校追加(高陵中)

3月 「新学校給食指導の手びき」刊行される。(文部省)

4月 都給食会は学校給食用パン規格等改定を行う。

9月6日 学校給食法制定30周年記念大会が東京都九段会館で開催される。

学校給食用牛乳の国の補助金が200c.c.あたり一律5円から年間飲用日数1~170日4円、171~215日8円50銭となる。

4月 臭素米論争おこる。

昭和60年

5月 給食調理の「作業標準作成のための学校給食調理場の職場調査」実施(学校給食事業安全衛生委員会の議を経)
5月 米飯給食試行校追加 芝浦、氷川(小)、青山(中)。

6月 「学校給食を考える」を教育委員会会報(ひろば)にシリーズで登載する。

7月22日 米飯給食試行校の交流会開催(高輪支所集会室)。

11月 米飯給食試行校追加 笄、神明(小)、赤坂、城南(中)。

1月21日 「学校給食業務の運営の合理化」文部省通知。

4月 学校給食用牛乳の国補助金が200c.c.あたり年間飲用日数1~176日4円、177~215日8円50銭となる。

6月 文部省は「学校給食における食中毒強化月間」を(7月の1ヶ月間)設定。

12月 「日本体育・学校健康センター法」公布。

自動販売機前に毒入り清涼飲料缶放置される。
厚生省食生活の指針を発表する。バランスのよい食事(1日30品目食べる)

昭和61年

1月 米飯給食試行校追加(麻布小)

2月 米飯給食試行校追加(芝浜中)

ファミリー給食 1~6年までたて割り集団です。月に1回(氷川小)

7月 〝石けんの安全性について〟労働安全衛生研究会開く。

10月 米飯給食試行校追加 竹芝、東町、白金、赤羽(小)、御成門(中)。
10月 竹芝小学校にて新たな食器の整備 1,強化ガラス製(コレール)の小深皿、小、中ボール、又先割スプーンを廃止し、スプーン、フォーク導入、はし(ミズメ低学年18cm、高学年20cm)常備する。
 ※従来ビリアンによる18cmのみであった。
10月 新たな改修校に調理作業の労働安全の確保等を目的として勤務中の休息時間の適切な条件整備としてREST ROOM設置する。

1月 15年ぶり保健体育審議会から「学校給食の食事内容の改善について」及び「学校栄養職員の職務内容について」文部大臣に答申が出される。

2月 文部省告示第16号及び第17号により「学校給食実施基準」、「夜間学校給食実施基準」が一部改正され、所要栄養量の改訂が行われる。基準の表示区分を小学校について低学年、中学年、高学年の3区分とし、また全対象にあらたに鉄の所要量基準を定め、脂肪の表示を摂取エネルギー比で表し、30%以下とする。

3月 日本体育・学校健康センター設立される。
3月 学校給食実施基準等の改訂に伴い体育局長から「学校給食の食事内容について」各都道府県教育長あて通知。

4月 学校給食用牛乳の国の補助金が200c.c.あたり、年間飲用日数1~180日3円50銭、181日~215日6円50銭となる。
同月、都は61年度中に栄養摂取の標準改訂を行い、62年度からこれを実施することとし、この間の暫定措置として、鉄について文部省基準数値を目安にすることとした。
4月 臨時教育審議会答申(教育改革に関する第二次答申)「学校教育の役割の限界を明確化し、家庭や地域の教育力の回復と活性化を図る」等、給食とその教育的意義について見直し論出る。

7月 郷土の技術を活用し、「木製食器」東北地方に広がる。

昭和62年

2月 常備食器の拡大及び変更を行う。
    1.先割れスプーンを62年度中で段階的に廃止、スプーン、フォークを常備する。
    2.はしの材質を現行のビリアン(木製)からミズメ(木製)にかえ、小学校の高学年については20cm(現行18cm)とする。
    3.どんぶりについて神明、青山各小、赤坂中。
    4.鞆絵小学校の主菜用皿に強化ガラス製(コレール)の採用。

4月 学校給食栄養摂取の標準を改訂する。

6月 米飯給食実施回数を段階的に拡大、南海、青山、桜川、芝各小の先実施校から順次月2回、週1回に増加。

9月 自校献立作成にむけ学校給食献立作成方法の改善。

10月 米飯給食試行校追加 御田、神応、南山各小。

11月 米飯給食試行校追加 高松中。

4月 学校給食用牛乳の国の補助金が200c.c.あたり年間飲用日数1~180日3円30銭、181日~215日6円30銭となる。

発がん物質として、アスベスト(石綿)の健康被害が社会問題化する。
食事内容の充実として郷土料理、キャフェテリヤ方式の給食検討。

昭和63年

1月 港南中改築、完全給食再開。
学校給食作業標準作成委員会発足

3月 米飯給食試行校追加、港南中。

平成2年

1月 芝小学校給食調理室を区内初のドライシステムに改装

平成3年

4月 牛乳代を区の負担で補助開始

平成7年

2月 米飯給食が週2回制で全校一斉にスタート

5月 「港区学校給食の基本的方向」の策定

平成8年

6月 岡山県の小学校に端を発した、O-157食中毒が全国を席巻した。

平成10年

3月 高輪台小学校での製パン事業廃止

平成12年

7月 食器の改善及び米飯週3回試行

平成13年

4月 高齢者学校給食サービス事業開始(平成13年度2校、平成14年度4校)

平成14年

12月 独立行政法人日本スポーツ振興センター法が公布され、「独立行政法人日本スポーツ振興センター」設立

平成15年

4月 牛乳代補助を廃止し、より安全な給食用食材(特別栽培農産物のお米)を各学校に配布

平成16年

4月 エコ給食ネット開始(6校に生ゴミ処理機設置)
赤坂中学校で給食調理業務委託開始
牛乳の紙パック処理代の補助

平成17年

4月 港南・朝日中学校で給食調理業務委託開始
エコ給食ネット(7校に生ゴミ処理機設置)

学校給食用牛乳供給事業者の変更に伴いビン入り牛乳から紙パック入り牛乳に変更

平成18年

3月 高齢者学校給食サービス事業終了

4月 御成門・三田・六本木・青山各中学校で給食調理業務委託開始
エコ給食ネット(6校に生ゴミ処理機設置)
栄養士未配置校へ区費非常勤栄養士を順次配置

1月 ノロウィルスが流行した。

平成19年

4月 高松・高陵中学校で給食調理業務委託開始

平成20年

4月 港南・本村小学校で給食調理業務委託開始

平成21年

4月 麻布・青山小学校で給食調理業務委託開始
港区立全小中学校に栄養士が配置される。

平成22年

4月 芝・赤羽・南山小学校で給食調理業務委託開始

平成23年

2月 「学校給食における食物アレルギーの対応について」の作成

4月 御田・高輪台・東町小学校で給食調理業務委託開始

7月 食材の産地公表 翌月からホームページに掲載開始

港区放射能・放射線対策対応方針(24年3月策定)

平成24年

4月 御成門・三光・赤坂小学校で給食調理業務委託開始

6月 学校給食及び牛乳の放射能測定及び検査結果をホームページに公表

12月 調布市の小学校で給食を起因とする食物アレルギーの死亡事故発生

平成25年

4月 白金小学校で給食調理業務委託開始

11月 「幼稚園・小中学校における食物アレルギーの対応について」の改正
23年2月「学校給食における食物アレルギーの対応について」の改正

平成26年

4月 食物アレルギー対応用食器の配付
笄小学校で給食調理業務委託開始

平成28年

3月 「学校給食の基本的考え方」の策定
7年5月策定の「港区学校給食の基本的方向」を改正し、「港区学校給食実施細目」と統合
3月 「エコ給食ネット事業」を請け負っていた(有)アグリクリエイトが事業撤退

4月 学校給食における食育の推進事業開始
芝浦小学校で給食調理業務委託開始

平成29年

3月 エコ給食ネット事業廃止、別事業として存続

平成31年

1月 「区立幼稚園・小中学校における食物アレルギー対応マニュアル」の改定

4月 青南小学校、お台場学園港陽小・中学校で給食調理業務委託開始
港区立全小・中学校の給食調理業務が委託となる。

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