昭和二十二年三月、旧芝、麻布、赤坂の三区が統合され新しく港区が誕生してから三十年の歳月が流れました。
この時、港区創立三十周年記念事業の一環として『新修港区史』を刊行し、区民の皆様のご高覧に供することができますことは、私の心から喜びとするところであります。
さて、本区の歴史につきましては、戦前には芝区誌、麻布区史、赤坂区史がそれぞれ発行され、戦後では昭和三十五年に港区創立十周年を記念して『港区史』が発行されましたことは皆様ご承知のとおりであります。
このたび、港区創立三十周年を迎えるにあたり、あらためてその歩みを中心に記録して、貴重な史料の散逸を防ぐとともに、誇りある郷土への関心を深め、併せて「地方の時代」を迎えようとする今日、これをもって自治意識の高揚を図ることは、まことに意義深いことであると同時に、このことはわれわれに課せられた責務であることを痛感するものであります。
しかし、この種の事業には往々にして資料の収集等多くの困難をともなうものでありますが、今般幸いにして地元慶応義塾大学をはじめ、各大学、その他関係機関の方々から並々ならぬご指導ご協力を賜わり、お陰をもちまして漸く刊行の運びとなりました。
ここに、あらためてそのご好意に対し心からお礼申し上げたいと思います。
かえりみますと、終戦当時港区地域は全体の六〇%を焼失し、見渡す限りの焼野原は多くの人々に虚脱と混迷をもたらしました。
間もなく人々は傷心の中から起ち上がり、復興の呼声とともに区民と役所が一体となって建設の作業にとりかかりました。
まず、その作業は焼跡の取り片付けから始められたのであります。
ついで、昭和二十二年三月十五日には幾多の紆余曲折を経て、今日の港区が呱々の声をあげ新しい一歩を踏みだしたのであります。
以来三十年、世界の奇蹟といわれる我が国の経済、社会、文化の輝かしい進展とともに都心区としての港区の発展は誠に目覚ましいものがありました。
いま静かに終戦当時を回想するとき感慨無量なものがあります。
さて、これからわれわれは、港区基本構想の理念である「人間性の尊重」と「地方自治の確立」によって「明るい住みよい港区」の実現に努力いたす決意でありますが、そのためにも港区の現状を正しく理解していただき、ご協力を念願するものであります。
本区史を刊行する意図の一端もまたここにあることは申すまでもありません。
最後に、本事業の推進に当たり港区議会をはじめ各方面から多大なご理解とご協力を賜わりましたことを記して深く感謝の意を表しますとともに、今後本区史が十分活用されるよう切望して止みません。
ここに所懐の一端を述べて序といたします。
昭和五十四年四月
港区長 川原 幸男