(0) 東京礫層の堆積まで

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【三浦層群・上総層群】 第三紀の中新世より第四紀の半ばすぎまで、年代でいうと二〇〇〇万年余り前から五〇万年ほど前まで、関東平野は主に海で、その海底に厚い地層が堆積した。三浦層群と上総層群と呼ばれているものがそれである。港区でも地下深くには、合わせると三〇〇〇メートルをこえる厚さになる三浦層群と上総層群があると推定されている。それらの地層は多摩川以南や房総半島中部以南の南関東では、陸上に露出しており、そこで詳しく研究され上記のような名がついたのだが、その連続が東京の地下にあるわけである。
【下部東京層と東京礫層】 上総層群の堆積末期になると、海が浅くなってきたうえに、海面の昇降が大きくなって、陸化する時期もあるようになったらしい。この海面の昇降は、約一〇万年を周期としておこったもので、原因は世界的な気候の変化による氷河の消長である。大陸氷河が拡大した氷期には、その氷の分だけ海水が減って海面の降下がおこり、反対に間氷期になると氷河が融けて、その分だけ海面が上昇したのである。そういうかなり周期的な気候と海面の変化は、上総層群堆積以後も続いていて、それが港区の地形を変化させた重要な原因になっている。さて五〇万年ほど前からは、地盤の上昇があったのか、ますます海が浅くなり、また海面昇降の影響が強く現われるようになってくる。こうしたなかで堆積したのが、千葉県の成田層群や東京の下部東京層(別名江戸川層)・東京礫層・上部東京層(合わせて東京層群ともいう)である。上部東京層の時代については次に記すが、この東京層群の時代には箱根火山が活動して今の外輪山が成長し、その火山灰や軽石が東京にも降下した。八ケ岳方面からの火山灰も降った。下部東京層の上部は、とくに凝灰質だといわれるのは、そのような火山灰の堆積による。とにかく、下部東京層は、海面の昇降にともなって、やや深くなったり、浅くなったり、時に陸化した〝関東の海〟(古東京湾といわれる)に堆積した地層である。
 その海が大きく退いて、東京西部はもちろん、たぶん港区も陸化した時、多摩川などがもたらした河床堆積物が東京礫層であろう。一般には、東京礫層と称されているが、目黒区の地下には、港区の東京礫層と一連ではなさそうな礫層があり(『目黒区史』一九六一刊、『品川区史通史編上巻』一九七五刊、自然の項参照)、東京礫層も単に一連の一枚の地層とは限らないようである。その年代はまだ確定していないが、新宿の地下の東京礫層は、火山灰を基準に年代を推定すると二十数万年前になるらしい。
 関東ロームのような火山灰、なかでも特長のある軽石層は、広く分布するから、時代のよい指標になる。ことに、その火山灰や軽石に含まれる鉱物や火山ガラスの年代が、含有する放射性物質によって測られていると、地層や地形の年代を数える時計の役を果たす。前に記した関東ローム層の年代や図5の年代目盛りは、四、五万年より前は火山灰中の鉱物やガラスに残されたウラン核分裂による飛跡をもとに測定されたものであり、それ以後、歴史時代までの年代は有機物に残された放射性炭素の測定にもとづくものである。