(1) 上部東京層の堆積――台地面の形成時代

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【下末吉海進】 東京礫層の形成後、海面が上昇し、関東平野は再び大きい湾(古東京湾)となった。この海面上昇の途中にも、海面の昇降が挟まれていたようであるが、それはともかく、海面上昇が最高に達したのは一二~一三万年前である。この海面上昇は下末吉(しもすえよし)海進と呼ばれている。その名の意味は、横浜市鶴見区下末吉の崖にみられる下末吉層の堆積をもたらした海面上昇ということである。下末吉層は、上部東京層や千葉の成田層(または木下(きおろし)層)などと同じ時代の堆積層で、いわばそれらの代表格の地層である。
 そういうわけで、これら同時代の地層の堆積表面すべてを下末吉面(頭文字をとってS面)と呼ぶのである。港区の台地面はそれであり、現在みられる港区の陸上における地形のうちでは、これがもっとも起源が古い。
 一二~一三万年前、海面がもっとも高くなった時代の関東の古地理は図6①に描かれている。東京二三区はすべて海底で、海岸線は武蔵野市吉祥寺と川崎市溝ノ口をつなぐあたりにあった。
 この海面上昇期の存在は、世界各地の海岸から報じられており、最終間氷期(アルプスでいうリス―ウルム間氷期)に当たると考えられている。その当時の海面の高さが今の海面より何メートル高かったかは、地盤の昇降があるため正確にはわからないが、六、七メートル、高くても一〇メートル前後であったと考えられている。港区での東京層上面高度が約二〇メートルだから、ここでは一二~一三万年前より現在に至る間に、少なくとも一〇メートルの地盤隆起があったことになる。これを年平均値にすると、〇・一ミリメートルになるから、極めてゆっくりした隆起である。
 さきに記したように、上部東京層の最上部には広く砂層が分布しているが、それは下末吉海進が海退に転じたころ、古東京湾が多摩川その他の三角州の前進によって次第に埋め立てられたことを示している。