【初期武蔵野の生物】 富士山など周辺の火山から大量に降り注いだ火山灰が落ちついて、関東ローム層が安定すると同時に、四囲の野山から運ばれた植物の種子から、はじめは陽地性の草本であるススキ、ヨモギなどが芽を出し、またたく間に大群落をつくって一面の草原を現出したが、それらが地表をおおいつくすと、間もなくモミジイチゴ、レンゲツツジ、シモツケなどの低木類が入り込み、続いてアカマツ、キハダ、カスミザクラ、ハンノキ、ヤナギ類、シラカバなど、背の高くなる樹木にとって変わられ、雑木林が出現した。しかし、当時は今よりも気温が数度前後も低く、緯度にして約三度ほど北上した気候帯に匹敵していたため、現在の東北地方の三陸海岸か、鳥海山麓の植物相によく似た温帯植物によって占められ、次第にブナやミズナラなどと入れかわって、しばらくの間は、これによる極相林が続いていたと思われる。
【有楽町層の生物】 当時は、第四氷期(ウルム氷期)の最中から末期にかけての期間だったので、海面低下が著しく、東京湾底はすっかり陸地化し、浦賀水道の水深約八〇メートル前後の位置まで海岸線が後退していたため、周辺の台地は小河川による浸食で至るところに谷がつくられた。
しかし、間もなく氷期が去り、ふたたび海面が上昇して、新しい海底にも堆積物がつもりはじめたのが、沖積時代の始まりで、約一万年前からであるが、港区内の低地はだいたい数千年で埋めつくされたとみられている。これが、現在の下町の平地と、山の手台地に深く食い込む谷筋の低地になったもので、この地層を有楽町層と名付けているのは周知のとおりである。
有楽町層は、代表的な沖積層で、現在でも消長が繰りかえされているので、それに含まれる生物は現生のものとほぼ同じであるが、この数千年の間、気温がまったく安定していたわけではなく、振幅は小さいとはいえ、たえず寒暖がくりかえされていた。したがって、寒期には北地系のセイウチやアザラシなどが渡来し、エゾタマガイ、ウバガイなどが繁殖したり、暖期にはイソシジミやハイガイなどが生息したりした。しかし、寒暖の移りかわりは徐々に行なわれるため、生物は種類が一せいに入れかわるということはなく、適応性の強い生物は混在して生息する、という結果になっている。
寿命の長い植物はとくに、寒暖の変化に強いため、ウルム氷期に南下した寒地系のものと、その後の温暖化で北上した暖地系のものとが、今でも山の手の台地に混生しているのが見られるが、これは特筆する価値があると思われる。
動物相も同様に、寒地系のものから温暖な地域を生活の本拠とするものへの移行がみられるが、これもすんなりと変化したものではなく、やはり気温とともに消長を繰りかえし、現在に至ったものである。