(四) 潜在生物相

31 ~ 33 / 1465ページ
 東京をはじめ、日本の各都市に限らず、全世界を通じて、同様のことがいえるが、すっかり開発されつくした大都会では、かつての自然の姿はまったく求めようがない、と思われるほど四囲は破壊し尽されてしまっている。実際都会地での自然破壊の度合いは、農耕地の比ではないのである。
 人類が定着するようになると同時に、主として食料を補給する目的で農耕地を次々と開拓していったのであるが、これには温和な気候帯で生活しやすく、しかも農作物がよく育つ環境が最適であったため、この目的に適う中緯度地域は、地球規模でまたたく間に農地化されてしまった。
【中緯度地域の自然破壊】 原始林を切り開き、草原を開墾し、沼沢地を水田化して、この地帯の自然を徹底的に破壊し尽した結果、かつてこの地は昼なお暗い大森林にすっかりおおわれていた、といわれても、にわかには信じ難い姿になり切っているが、かつての港区にも、緑豊かな極相林がよく発達していて、特に山の手台地には全体にこの原始林が延々と続いていたのである。
 また、人びとが定住するためには、建築用材や薪炭材も必要とするため、農地化とともに住居の周辺に、それらを得るための人工林を造る結果になり、スギ、ヒノキ、アカマツなどの植林地や、ナラ、クヌギなどの雑木林が至るところに形成されてしまったのである。
 その後、人口の激増と、都会指向型の生活とにより、港区内に残された農地をはじめ、植林地、雑木林などは軒並み住宅地化され、江戸時代中期には、一部大名が所有する屋敷内に、わずかに当時の姿をとどめるに過ぎない状態になってしまっていた。
【潜在植生】 明治以来、急膨張を続ける東京は、港区からすっかり自然を奪い、わずかに残された雑木林や谷ぞいの水田までも、その存在をゆるすことなく潰してしまったので、現在では古い時代の港区の自然をふりかえってみることすら不可能と思われるほどである。しかし、区内を丹念に調べてみると、思いがけないところに人手を受けない、古くから残されたままの自然が見つかることがある。
 たとえば、昔から続いている旧家や大名屋敷の跡だの、神社や仏閣の境内地、あるいは農耕地化しにくかった崖ぞいの急斜面などであるが、これらの地点は幸いにして人手がほとんど加えられることがなく、古くからの植生がそのまま残されていることが多いので、付近のかつての植生を、それらを基にして知ることができる場合が少なくない。
 港区内には、かつての自然はまったく面影をとどめていないかにみえても、これらを調べることによって、当時の植生が、ごく一部ではあってもよくわかる場合が多いのはありがたいことで、この植生にいつまでも残っていてもらいたいと思う。今後人類が総退去して無人化した後、港区全域にふたたびよみがえる植生が、これになるところから、これを潜在植生と呼んでいるのである。
【自然が残っているところ】 港区内で最大規模に古武蔵野の極相林または当時の植生が残されているのは、白金台にある国立科学博物館附属自然教育園であるが、そのほか元赤坂の東宮御所をはじめ、聖心女学院、高松中学校、愛宕山などでも一部で見ることができる。
 また、やや不完全ながら多くの社寺や崖ぞいの急斜地にも、残存植生とみられるものが相当数残されているので、これらからも潜在植生を知り得るのである。
 これらを基にして、港区の植生を復原してみると、ほとんど全域がシイ――タブ群集となり、暖帯の代表的照葉樹林帯にすっぼり包まれる。しかし、比較的にカシの類が多いのは、同じ海岸性植生といっても、東京湾が内湾であって、やや内陸的に作用することと、寒暖の交互襲来による江戸末期の寒期の影響が、まだ残っているせいであると考えられよう。