序説

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 港区の先史時代を考察することは、すなわち最近における考古学研究の目覚ましい進展にともなって鮮明の度を加えつつある日本古代文化の検討を行なうことに直結するといってよかろう。しかも、そのなかにあって港区の場合が特異であるとは到底考えられないのであるから、むしろこんにちまでに明らかにされているわが国の古代文化が、われわれの港区という狭い地域においていかに生起し発展し、やがては歴史時代のそれへと移り変わったかを考察するということになるのは極めて当然のことといえよう。
 さらに、高度に都市化された港区のうちにおいて、新しい先史時代遺跡の発見は、まず絶望に近く、したがって遺跡・遺物等に関しては、前回の『港区史』(昭和三十五年三月刊・港区役所編)の記述を多く上回ることのない点もまた改めて云々するまでもなかろう。そこで本章では、やや観点をかえて、考古学それ自体の進歩と、十年近い年月の間に『港区文化財』刊行のために行なってきたわれわれの研究をもとにしてでき得る限り新しい知見を加えつつ筆を進めてゆきたいと思う。
【原始時代と先史時代】 また、用語の問題であるが、先述の『港区史』においては、地形の歴史と先史・原史時代を合わせて「原始時代」とする術語が使われていた。しかし、これらの用語は古くは学術用語として定着していたけれども、最近の研究者の間ではほとんど使用されていないので、文献史料が出現し、その利用が十分に行なわれる以前、すなわち、考古学研究にもっぱら依存する時代については、「先史時代」の語に統一することにしたい。この点からも広義の歴史的研究において見るべき進歩のあったことを窺い知ることができるかと思われるからである。