(三) 弥生時代

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【農耕と金属の利用】 数千年にわたる縄文文化の繁栄のあとを受けて、新しい弥生文化が開花することになるが、この文化は単なる縄文文化の発展というよりは、大陸文化の流入摂取という点でもとらえられそうにみえる。すなわち、生産手段としての稲作農耕がはじまり、青銅器のほかに大量とはいえぬまでも鉄製品を使用するという異質のもので、かなり突発的に出現する点をもあわせ考えると、縄文文化の単純な発展とはみなし難い点に注目すべきであろう。
 加えて、地域的にも九州北部から瀬戸内海沿岸地帯、近畿地方に色濃く分布し、それぞれの地域で特色ある発達をとげている事実も注目されるのである。同時に最も重視されるべきは、この文化においてわが国もようやく農耕と金属の利用という二つの画期的な文化発展の段階に到達した事実である。ただその中心が遠く西日本にあって関東地方は分布の東端に近く位置するためであろうか、港区内においては、いまだ顕著な遺跡・遺物に乏しい。さらに付言すれば、この〝弥生文化〟の名称は縄文式土器とは著しく異なった特徴をもつ弥生式土器から出ており、その弥生式とは文京区の本郷弥生町で初めて発見されたために付せられた名称だということである。