【青山墓地内貝塚】 古くから青山墓地内貝塚の名で著名である。墓地は丘陵上に造られており、西側が渋谷川の谷に臨んでいるが、貝塚はこの谷に面した西向き斜面の北部にあった。
すなわち、墓地の北西隅に残されているわけで、さらに墓地の北側を画して東西をとおる道路をこえた北側の青南小学校内あたりまで、土器の散布が見られたといわれ、貝塚の南方でも土器などの遺物が採集されている。
つまり、青山台地と麻布台地を分ける小支谷の最奥部に営まれたかなり大きな遺跡である。しかも、貝塚の南方で縄文文化の加曽利E式土器が採集され、貝塚では堀之内土器がもっとも多かったと報ぜられている。さらに、加曽利B式土器も含まれているので、縄文文化の中期から後期にわたって長期間、縄文文化人が居住したことを示す重要な遺跡だといえる。
なお、故酒詰仲男氏採集品中に前期の茅山式土器の破片一個があったというが、あまり確実ではないので付記するにとどめておく。この貝塚で採集された石器類はかなり多く、その種類をあげると石鏃、打製石斧、磨製石斧、石棒、石錘、磨石(すりいし)などがあったとされている。
また、江坂輝弥氏採集品のなかには、中期の勝坂式土器もかなり見られるが、この貝塚が縄文文化中期から後期にわたるものとする見解を妨げるものではない。