(1) 芝公園四丁目

62 ~ 62 / 1465ページ
 もと西向観音堂があったあたりで、大正六年(一九一七)に鳥居龍蔵氏が発見したという。その土器は古墳の盛土から出土したといわれるので土師器(はじき)の疑いもないではないが、胴の膨らんだ部分の破片で、朱が塗られていたと報告されている。ただ、こんにちではそれが保存されておらず、出土地点も確認できかねるので、もっぱら鳥居氏の簡単な記述に頼るしかない。